ていた。
「それでは、容易に上海を捨て難いでしょう。」
「いつでも捨てます。然し私は、秦さんについて田舎へ行きますが、時々こちらへも出て来ます。連絡係りです。」
「それにしても、上海と田舎と、どちらに住みたいと思いますか。」
「それは思想によって決定されることです。」
「いや、思想を離れて、単に気持の上で、この濁流……腐りかけた牛肉の味と、さっぱりした野菜の味と、どちらによけい魅力を感じますか。」
「そのようなことは、単なる感傷です。」
ここで、秦は通訳をやめて、私に言った。
「陳君には感傷が大敵なんだ。丹永のもとに帰ってやれと僕に言うのも、感傷とは違った意味だ。常に感傷を目の敵にしている。感傷の多い筈の若者が、こういう信条で育っていって、末はどうなるか、ちょっと僕は恐ろしい気もする。陳君と話していると、思想は別として、理想とか信念とかいうものも、感傷と紙一重の差であることに気がついて、冷りとする時がある。然し僕はやはり、感傷をも郤けないで、理想や信念と共に、心の糧としてゆきたいのだ。陳君にもこれから感傷を少し吹きこんでやるつもりだ。」
私はうなずいて答えた。
「その通り陳君に言ってみ給え。」
「言ったことがある。」
「すると……。」
「ひどく嫌な顔をしていた。」
陳は私たちの話の内容をほぼ察したのだろう、嫌な顔をして、拗ねたようにジンを手酌で飲んだ。私と秦は見合って微笑した。然しその晩、秦は大西路の家に帰った。別れぎわに、三人は強烈なジンで、上海のために乾杯したのである。
数日後、秦啓源はほぼ決定的に上海を去って無錫近郊の田舎に向った。上海から僅かに急行で二時間の所だが、なにか遠方へ出発するような気味合いがあった。陳振東と女中の梅安とが同行した。大西路の家には、楊さんと他の二人の男が留守居している。
私は駅まで見送りに行き、同じく見送りの数人の中から、洪正敏を紹介されて、少しく驚いた。洪正敏が秦の手をしかと握りしめた様子には、一種の愛情が見えた。
序に言っておこう。仲毅生のことは洪正敏の手で後始末がされた。彼は可なりの金額を貰って、広東へ追いやられた。なにか狡猾なまた向う見ずな、左耳の無いこの男が、広東でどういうことをしたかは、別な物語に属する。然しそのことについて、私はまだ詳しくは知らない。
底本:「豊島与志雄著作集 第四巻(小説4[#「4」はローマ数字、1−13−24])」未来社
1965(昭和40)年6月25日第1刷発行
初出:「文芸」
1945(昭和20)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「室の中には、壁面に多くの〜風光の写真らしく見えた。」の段落は底本では天付きになっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月27日作成
2008年9月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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