に闇黒な鬼気を蔵して、中天に翔り上ってくる。地平線の彼方に巨大な根を据えてる、そういう密雲の幾群かが、先を争って太陽に襲いかかる。太陽の光の波の下に、頭を押えつけられながらも、胴体からむくむくと脹れ上って来て、また昂然と無数の頭をもたげ、傲然たる勢に駈られて、互に衝突し融け合い反撥し合い、天と地とにのしかかってくる。その威圧の下に、万物は一堪りもなく靡かせられる。空気の流れが次第に強くなり、息をついてはさっと地面を掠め過ぎる。
 弊衣の男は、蓬髪を風に吹かせながら、恐れる気色もなく顔を挙げて、光の波と雲の層との闘いを眺める。その眼は没表情な白目となって、酔い痴れたような眼付になる。そして彼の頬は弛んできて、口を大きく開きざまに、呆けた高笑いが喉から飛び出してくる。なま温い風が、その哄笑を野末に吹き払ってしまうけれど、後から後からと哄笑は起ってくる。彼は何を笑い続けてるのか? 恐らく彼自身でも知らないだろう。それは全く物に憑かれた狂人の空洞な笑いである。
 と俄に、彼の哄笑とそれを吹き払う風とが、息を切ったようにはたと止む。雲の頭が太陽を蔽い隠して、墨を流したような闇黒が空の大半を占領して、暗澹たる気が天地を包み込み、怪しい戦慄の沈黙が落ちてくる。その沈黙の中に、何処ともなく遠い雷鳴が聞えたかと思うと、さっと一陣の風が起って、横ざまに大粒の雨が襲ってくる。そして忽ちのうちに、雷鳴と電光と驟雨との擾乱の世界となる。天と地とが渾沌たる一体のうちに融け合って、真黒な激怒の翼と電光の鋭い爪とが、凡てのものを打ち叩き折り挫ぐ。もはや何物の形も見分けられない。男の姿も闇に呑まれてしまう。
 その渾沌たる暴虐の世界の中に、やがてぱっと光がさしてくる。尊厳な太陽が姿を現わしたのである。中天を蔽っていた巖のような黒雲が、胴体の半ばから横ざまに折り拉がれて、空低く流れ落ちてゆく。雨が止み雷鳴が消え風が凪いで、紺碧に澄みきった大空と雨水に溺れた大地とが、焼くがような太陽の直射に照らし出される。空は光を含んで益々冴え返り、地面は浴び飲んだ水が沸き立って、熱い吐息に喘いでくる。そして崩れ落ちる暗雲は、くず折れくず折れして益々低く、地平線の彼方に没してゆく。
 もはや白々と乾きかけた一筋の街道を、先刻の男がなお辿っている。雷と雨とに打たれて首垂れながら、ただ機械的に足を運んでいるらしい。髪の毛が
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