ろうとする。が、それがやはり夢現である。頭の一部がしびれて、そこが大きくふくれ上り、千斤の重みの綿みたいな感じになる。ふわりとしていて、不可抗力的に重い。その中へ、かすかな意識が引きずりこまれてゆく。
身動き一つすることが出来ない。息苦しくなる。眼には見えないが、そこらに眠ってる人数《ひとかず》が幾何級数的に殖えてゆく。その無数の口から吐き出される息が、積り積って、なま温くのしかかってくる。穢らわしい擽ったい感触である。いつまでも動かない……。
その感触がどこか遠くで、粘りっこい笑い方をしている。お梅だ。手の皮膚のざらざらした、土くさい、力強いぼってりした腕で、じりじり緊めつけてくる……。
そこで和田弁太郎は眼を覚す。ぐっしょり汗をかいている。が、室内の空気も同じように汗をかいている。どんな不潔なものにもいきなりしゃぶりつきそうな、面皰顔の唇の厚い口、その六つの口から吐き出される息が、濛々と立罩めている。櫺子窓からさす廊下の明りがぼーっと曇っている。
そうなると益々眠れなくなる。何かしら汚い赤黒いものが、身体中にのたうち廻っている。
そして和田弁太郎は屡々寝室をぬけ出すのである。そして彼は考えるのである。――不思議な現象だ。俺は今迄、この寄宿舎の共同生活が少しも嫌ではなかった。それが、休暇に郷里へ帰ってから、俄に嫌で堪らなくなった。殊に夜の同室就寝は我慢が出来ない。何故だ。お梅の肉体を知ったせいだろうか。いや、お梅と俺との関係は、全く没精神的な汚らわしいものだ。友人との共同生活が厭わしくなるほど、それほど純なものでもなければ深いものでもない。友人との共同生活よりももっと、肉体的な汗ばんだものだ。してみると、この嫌厭は、何故だ、何故だ。
和田弁太郎は、考えあぐんで、そしてどうにもならなくて、益々蒼ざめていく。
そこで小説家は一寸話を切りました。そして、どうだろう、という工合に批評家の顔を見ました。
「ふうむ。」と批評家は暫くたって云いました。「一寸面白いようでもあるが、何だかよく分らないところもあるようだね。何と云ったらよいか、こう……余りに特殊な心理なので、そして心理だけなので、一般には向かないかも知れないね。」
「へえー、そうかね。」と小説家は答えました。「僕にはまた、そこが一番大切なところなんだがね。……余り特殊な心理だけで……なるほど……。」
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