しい思いのうちに時間が過ぎる。その躊躇の間が楽しいのだ。馬鹿げた空想が次から次に起ってくる。そして空想の合間合間には、これが自分の選ぶべき娘だろうか、もっと他に優れた娘がいはすまいかと、世界中の処女をよせ集めて、その顔を一つ一つ覗いてみたい気がするのだ。そのうちに僕は凡てが懶くなってくる。あるがままに凡てを受け容れたい気になってくる。けれども、しっとりとした宵闇の中に夜の灯が閃きかけると、僕は蘇ったように身体を起して、華やかな巷の方へ狙い寄っていく。豊満な肉体を臙脂の香りと包んだ怪しげな女性が、ずらりと僕の前に並んでいる。どの顔にも見覚はないが、どの顔にも親しみがある。盃に映った火影、なよやかな衣擦れの音、物に遮られた街路の擾音、凡てのものが、踊れ、踊れ、狂うまで踊れ、と囁きかけてくる。じっとしていることができないのだ。ただむちゃくちゃに、心を怪しくそそるようなことがしてみたくなるのだ、しないではおれないのだ……。
それらの言葉を、も一人の男は眼を伏せて聞いている。やがて彼は黙って立上って歩み去る。首垂れて眼を地面に落しながら、当もなく歩き続ける。どんよりとした空にいつのまにか蒼白い雲がかけて、細い雨が音もなく落ち初めると、彼は慌しく自分の室に戻ってゆき、いつまでもうっとりと考え込む――片恋のままで別れた彼女のことを、心弱さのために我と自ら身を退いて、いつしか音信も途絶えてしまった今、ふっと切なく思い出されて、如何したものだろうかと、やるせない迷いのうちに、空想の輪を十重二十重に織り出して、彼女と自分とをその中に絡め溺らしてゆく。
それらのものの上に、夜の露が繁く結ばれて、清浄な朝日の光が、澄みきった爽かな世界を齎してくる。萠え出たばかりの瑞々しい花や葉や、眼覚めたばかりの汚点のない魂が、一度にぞっとおののいて、眼に見えない輝しいもの――神とも云えるもの――の方へ、おずおずと瞳を挙げる。清らかな求道の園である。然しそれはただ一瞬のことである。間もなく凡ての瞳が、春の息吹きにふーっと曇ってくる。そして、神のない地上の力弱い楽園が――刹那々々の歓楽と其処から来る哀愁とが、凡てを包み込んでいく。
私の斯かる春の幻は、可なり不安で揺ぎ易い。実際、春は余りに慌しい。私一個の感じから云えば、桜の花の開きそめる四月上旬までは、まだ多分に冬であるし、木の葉の出揃った新緑の頃は
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