昆布茶

 二人の飲み友達が、或る家の二階で、一杯やることになった。一人は酒を飲んだ。一人は、胃病のため一時禁酒の余儀ない状態にあったので、銚子にいれた昆布茶を盃で飲んだ。そのごまかしに、いつしか酒が反映していった。二人とも調子づいて、いい気持になり、盛んに談笑し且つ飲んだ。数時間後、座を立ちかける持には、昆布茶の方までが、手付や足取が妙にあやしく、二階から階段を降りかけると、途中で足を踏外して、転げ落ち、膝頭をすりむいた。
 それが、昆布茶に酔っ払った奴として友人間の話柄となった。彼は弁明した。「昆布茶なんぞに酔うものか。酔わない証拠には、梯子段から落っこったのだ。僕が酔っ払って一度だって転げ落ちたことがあるか。」それから彼は声を低めて云う。「然し、飲み物があんなに腹にたまったことは、嘗てない。」

      病床

 某夫人が感冒で寝ていた。八疊の室で、湯気、湿布、吸入。そして彼女は神経質に蒼ざめて、陰欝にしおれ返っていた。それが気になるので、再び見舞に行ってみると、病室が代って、日当りの悪い六疊になっている。而も彼女は、床の上に坐ってけろりとしている。そして云うのである。「この室に代って、大変気持がいいんですのよ。あちらに寝てると、今にも死にそうな気がして……。だって、屹度あの通りの寝方で死んでいった人があるに違いありません。」
 考えてみると、そういう五六室の家では、病人は屹度あの室にああいう位置に寝るに違いない。そしてその古い貸家では、幾人か病人も出来たことだろうし、そのうちには、あの位置で死んでいった人もあるに違いない。それをふと、神経質な彼女は自分の身に感じだして、堪まらなくなったのであろう。
 想像上の条件反射ということがあり得るならば、自我主義の潔癖な彼女は、或は、生きながら死を経験したかも知れない。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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