は腕力に帰着する。だから、平穏な議場の空気は、ただ眠気を催させるだけで、ばかばかしくなる。静粛な議会などは、議場心理を知らない痴人の夢想だ。誰でもあの議席についたら、腕がむずむずして、脾肉の歎を感ずるのが当然だ。」
 議会にそういう条件がいつ構成されたかは不明だが、それが真であるとするならば、また何をか言わんやである。境に転ぜられざる底の人士を現代に求むるのは、或は無理かも知れない。

      原稿紙

 或る文学少女が或る文士に宛てた手紙の一節。――「原稿用紙なんか使って、御免下さい。先生はいつぞや、私の手紙が冗漫でくどくて要領を得ないと、叱るように仰言ったことがございましたわ。あれから、私随分苦心しました。でも駄目ですの。じきにいつもの女学生風の癖がでてしまって……。いろいろ考えた上、原稿用紙を使ってみることに致しましたの。先生が御創作なさる時のように、机の上には不用なものを一切置かないで、そして創作するような緊張した気持で、ペンを執っております。先生のお気に入る手紙が書けるようにと念じながら……。」
 実際、その手紙は、これ迄のとは見違えるように、簡明で要領を得ていて、殊に句読点が整然としていたそうである。然し、妙に作為が多くて真情の流露が乏しかった。彼は唖然として、嘆じて云う。「彼女は真の創作家にはなれそうもない。」

      襯衣の釦

 某君が他の同志たちと共に、懸命に帯封書きをやっていた時のことである。一種の非合法性を持った印刷物の帯封で、その晩のうちに片付けなければならない状勢にあった。その時彼は和服を着ていて、袖口が仕事の邪魔になるような気がするので、片肌ぬぎになったところ、襯衣の釦が一つ取れていて、そこから痩せた胸が覗き出す。それが次第に自分で気になって、片手で胸元を押え押え帯封書きをしていたが、またすぐに痩せた胸が覗き出す。彼は右手で懸命にペンを走らせながら、そして左手で夢中に襯衣の胸元をつくろいながら、額から汗を流している……。その様子が、とてもおかしかったと、後で誰かが笑った。
「ばか!」と彼は一喝した。「僕は大衆の面前で素裸になっても平気だが、襯衣を着てる以上は、その釦の取れたところから痩せた胸を見せるのは気が引ける。それはイデオロギーの問題じゃない。情操の問題だ。釦の取れた襯衣を着るくらいなら、一層襯衣をぬいじまった方がいい。」
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