創作家ではない。思いあがった浮薄な文字を羅列するか、或は凡てが無意義に思えるからである。こういう時私は、社会を考えてはいけない。ニヒリズムか或はファシズムに陥り易いからである。私の魂は総毛を逆立てている。私の精神活動は熱で曇らされて、明晰な観照を妨げられる。この熱の曇りを、私はトルストイに見出す、バルブュスに見出す。マルクスにさえも、否、大抵の人に多少とも……。そして私は、クロポトキンのあの精神的温容を想う。民衆を眺めるキリストの温眼を想う。
*
さらば如何なる時に、私は批評家となり、殊に、創作家となり得るのか。ポール・ヴァレリーは云う――「赤裸な思想情緒は、赤裸な人間と同様に弱い。衣を着せなければならない。」誰が、何が、そして如何なる時に、私の情意に衣を着せてくれるのか。――私は赤裸を好む。その赤裸は、感冒を知らない原始人の強靭な皮膚を持つ赤裸である。何物が私にその皮膚を与えてくれるのか。
恋人よ、君と二人きりで海岸をそぞろ歩きした時のことを、私は思い出す。空は蒼く冴え返り、太陽の光は一面の白布となって大地に展べていた。晩秋の真昼。潮は満つともなく引くともなく、深々と湛えて、水平線の彼方の沖から、冷かな微風が渡ってくる。その微風の方へ、渚の漣の音楽に耳を貸しながら、私達は眼をやっていた。そのまま肉体が融け初めて、精神が地上のものを運びつつ、虚空へ大きく拡がりゆく気配……。その時ふと、私達は眼を見合った。「幸福を地上に……。」と――私達はその瞬間不幸ではなかったが――互の眼が囁く、私は君の心を求め、君は私の心を求めて……。あの瞬間を、恋人よ、忘れないようにしようではないか。
情意の深淵を、私は想う。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月24日作成
2008年9月17日修正
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