少年文学私見
豊島与志雄
現今の少年は、非常に明るい眼をもっている、空想は空想として働かしながらも、事実のあるがままの姿を、大袈裟に云えば現実を、じっと眺めそして見て取るだけの視力をもっている。これは、実証主義的精神の、また唯物論的精神の、遺産を得ているからであろうか。更になお、科学的教育を受けているからでもあろうか。とにかく彼等の眼は、架空なものを許容することが非常に少なくなっている。
少年のための文学は、だから、可なり現実的なものでなければなるまい。既に童話に於ても、現在では、妖精や精霊などは死んでしまった。王子や王女なども放逐された。動物たちも殆んど口を利かなくなった。そしてただ子供たちの日常生活のさまざまな様相が、いろいろな香気を立ててるだけのことが多い。童話でさえそうであるからして、まして文学は、人形芝居であることをもう止めなければなるまい。人形芝居というのは、人工的に架空的に拵えられた人物が活躍するの謂である。そういうものでは、少年等の明るい眼を持ちこたえることが出来ないだろう。――これは第一の条件。
次に、現今の少年は、或る精神的な重荷を負っている、というのは私の
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