#「せい」に傍点]は夫にいった。「図々しいったらありゃあしない。お前さんが黙ってるからつけ上るんだよ。少し躾《しつけ》をしてやらなくちゃ困るじゃないかね。」
 金さんはただ首肯《うなず》くばかりであった。彼は棟梁の仕事場から帰ってくると毎晩酒を飲んで、そのまま畳の上に寝転んで鼾をかいた。それを庄吉は蒲団の中に入れてやらなければならなかった。
「小父《おじ》さん、小父さん! 寝るんだよ。」そういって庄吉は彼の頭を持ち上げた。
 小父さんは薄眼を開いて庄吉の顔を見た。それから「うむよし。」といって床の中にはいった。彼の横には堅吉と繁《しげる》とがもう眠っていた。
 それから庄吉は小母《おば》さんの側で糊をして内職の封筒をはった。彼が眠むそうな眼をしばたたいていると、小母さんはよく斯んなことをいった。
「もっとしっかりおしよ、何だよ眠そうな眼をして。お前さんはもう十歳《とお》にもなるんだからちっとは稼ぐ事も覚えなくちゃいけないじゃないかね。お前さんのためには私達どんなに苦労してるか知れないよ。特別に大留《だいとめ》さんにお願いして年季にも上げないでさ、うちから仕事場に通えるようにしてあげてるんじゃないかね。私達にだって子供があるしね、並大抵じゃないよ。」
 庄吉は黙ってまた仕事の手を早めた。然し心のうちでは年季に上った方がいいと思った。
 大留のうちには少年の心をそそるようなものがいくらも在った。新しい木材の香《か》や鑿の音も彼の心を動かした。面白い音を出す柱時計やぴかぴか光っている道具類や棟梁の大きな銀の煙管なども彼の心を引いた。そして其処には彼を「肥桶《こえたご》」と呼ぶ人も無かった。皆が快活に勇ましく働いていた。
 彼は其処で鑿と鋸とを持つことを教わった。手斧《ちょうな》や鉋は中々許されなかった。然し彼は仕事に少年としては意外の悧発さを示した。そして自分でも、他人の手に成った螺鑽《おおぎり》の穴を辿って角材に鑿を入れることがもの足りなかった。彼はともすると小父さんの螺鑽をいじってみたくなった。
 棟梁は螺鑽を持っている彼の姿を見て微笑んだ。
「今少し辛抱しなくちゃいけない。今に一人前にしてやるから。これで鑽《きり》を使うことは中々難しいんだ。頭が歪《ねじ》けないでしっかりしていないと鑽は真直に入《はい》らないものだ。性根を真直にすることが第一だ。」
 庄吉にはその意
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