ていた。がみさ子はそれほど偉大な胴体を具えてはいなかった。何処か腺病質な弱々しい体だった。その上、彼女の肩の肉附も、みさ子には少し重々しすぎた。ただ肩がすらりとこけて首筋が長いのは、みさ子そっくりだった。
その時彼女は、私の視線を感じてか、一寸ぴくりとした身振で両手を挙げて、着物の襟をつくろい、絽縮緬の羽織の前をかき合せ、両の袂を膝の上に重ねた。その指先を見て、私は眼を見張った。それは全くみさ子の指だった。蛇のようによく物に絡みつく、長いしなやかな指、膝の神経痛と関係のある、一種病的な神経質な精緻な触感を持ってる指、そして円く反った細長い爪。みさ子はピヤノと編物とに適した手を持っていたが、まだどちらも習ってはいなかった。けれども不精なためか或は習癖からか、否恐らく無意識的な感情から、洗濯を非常に嫌がっていたし、手先や爪を大変大事にしていた。そして化粧をする時の指先が極めて巧妙だった。
汽車は横浜に着いた。料理屋の女中と番頭みたいな二人連れは降りたし、実業家らしい半白の男も降りた。車内が前よりも一層広々とまた白々しくなった。彼女が私の方をじろじろと、明らさまに而も偸み見の体で眺めるので、私は窓の方にまた顔を外向けて、眼をつぶった。みさ子の立像がはっきり頭の中に出来上っていた。大理石に刻まれたように、揺ぎのない正確な形体を具えていた。私はそれに向って心で微笑みかけながら、いつしかうとうととしかけた。汽車の速力は前よりもずっと早くなった。闇の中を疾駆する明るい車室の中が、夢の世界のようにやさしく快かった。私はうっとりとした眼を半ば開きながら、彼女の方を親しげに而も無関心にうち眺めては、またその眼を閉じて、頭の中のみさ子に微笑みかけた。そんなことを何度もくり返してるうちに、本当に眠ってしまった。
ざわざわする物音にふと眼を覚すと、汽車は停っていた。もう東京駅に着いたのかと思って、半ば腰を上げた時、それは新橋駅であることを知った。と同時に、彼女からじっと見られてるのを感じた。私は一寸狼狽した気持になって、浮した腰を下しながら、てれ隠しに煙草を吸った。他の乗客はみな降りてしまって、車室には私と彼女と二人きりだった。汽車が動き出した時には、私は半ば夢の中にいるような呆けた気持だった。
彼女は真正面を向いて、もう書物もしまい、両手を膝に重ねながら、じっと身動きもしないでいた。その視線が、私のすぐ側の窓から外へつきぬけてるのを、私ははっきり感じた。そして私はまじまじと彼女の顔を見つめた。みさ子が六七歳年を重ねて、其処に坐ってるのだった。「みさ子さん」と私が云ったら、彼女は眼尻のかすかな凹みに微笑の影を浮べて、「え、なあに?」と答えながら、私の方へ親しい眼を向けそうだった。そしたら私は、「随分早く年を取りましたね、」と云ってやったであろう。
それは実に変梃な気持だった。彼女の方を――みさ子の方を――見ては悪いような、また見ないで澄してるのも本意ないような、どうしていいか分らない気持だった。彼女はやはりじっと正面の窓から、夜の都会の上を眺めていた。
東京駅に着いても、私はまだぼんやり腰を下していた。が彼女はすぐに立上って、棚の上の手提と革の紐のついた日傘とを取った。私もその真似をして、帽子とステッキとを取った。彼女はちらと私の方へ視線を投げて出て行った。私は変に置きざりにされた気持で、一寸間を置いてから歩廊に出た。彼女が草履ばきのすらりとした足で、出口の方へつつーと歩いてゆくのが見えた。私はその後姿へ向って、「さようなら、みさ子さん!」と心で呼びかけておいて、電車に乗り換えるために、彼女と反対の方へ歩きだした。
私はみさ子の小説を書かなかった。書けなかったのである。書こうとすると、その面影が余りにまざまざと、丁度多年馴れ親しんでる妻とか妹とか、そういった近親の者のように、余りに身近く現れてくるのだった。小説の構想はみさ子をつき離して遠くから眺むる手法の上に立てられていたので、みさ子の面影が余り目近に迫ってくると、遠近法がうまく取れなかった。でそれを書くには、手法から従って構想までも立て直す必要があった。私はそれを他日のこととして、約束の雑誌社へは、他の短いものを書いて送った。みさ子は私にとって、一人の親しい生きた女性となっていた。
それから三四ヶ月過ぎて、或る秋晴れの日に、私は友人と連立って、郊外に住んでる懇意な女洋画家を訪れた。彼女は自分の家に、小さなアトリエと広い庭とを持っていた。私達は庭の草花を見ながら、アトリエの中で雑談を初めた。
暫くすると、女中がN夫人の来訪を知らしてきた。私達は辞し去ろうとした。それを女主人は引止めた。そして彼女の言葉によると、N夫人は彼女の旧友で、今では善良な一家の主婦だが、以前は優れた歌人だったそうである。
其処へN夫人がやってきた。セルの着物に小紋の絽の羽織を引っかけて、散歩ついでという様子だった。私達はそれぞれ紹介された。私は何だか夫人に見覚えがあるような気もしたが、はっきり思い出せないので、「初めまして」と挨拶をして、丁寧に頭を下げておいた。
やがて私は、初対面のN夫人が加わったために、妙につまらなくなって、いつしか会話の圏外に出て、立ち上って庭の入口に出た。そして煙草を吹かしてると、N夫人は私の方へやって来た。
「いつぞやお目にかかったことがあるようでございますが。」と彼女は落付いた微笑を浮べながら云った。
「そうでしたかしら……。」
私は振向いて彼女を眺めた。それから、襟元の黒子《ほくろ》が眼についた。彼女だったのだ……あのみさ子は。
私は惘然として言葉もなく立竦んだ。
「鎌倉からの汽車の中だったように私は覚えておりますが……。」と彼女は云った。
睫毛の長い黒目の小さな怪しい眼が、私を正面にじっと見つめながら笑っていた。私はあの時の無作法を揶揄されてるような気がして、冷たい汗が流れた。と共に、何ともいえない驚きを感じた。夫人は円満に出来上ってる女らしかった。どんな場合にも挙措を乱さないだけの沈着と、一寸文学をも弄べるだけの怜悧な才能と、家政をも整えてゆける手腕と、人を外らさぬ気転など、大抵の美徳を具えていて、その代り、特殊な官能や、不幸に対する理解や、熱烈な情操などは、可なり欠けてるらしく見えた。一口にいえば、円満な平凡な現代婦人らしかった。そういうことを、私は彼女の全身から直覚的に感じて、みさ子と彼女との間に、心の据え場に迷った。
「あの時の……あれはあなたでしたか。」と私は漸くにして云った。
「ええ。あなたはもうお忘れなさいましたの?」
「それでも、何だか別な人のような気がするんです。ほんとにあなただったのですか。……そんなら、実際あの時は失礼しました。いやにあなたの顔ばかり見まして……。私はあの時一寸変な……夢を考えてたものですから。」
私は途切れ途切れにそんな風な滑稽な口を利いた。彼女は笑った。これから御交際を願いたいと云い出した。私はただ一言気のない返事をした。そして友と女画家との方へ戻っていった。
暫くして私と友とは帰っていった。帰りながら私はN夫人のことを頭に浮べた。「下らないことを覚えていたものだな!」と考えた。そして彼女のことを頭の外に放り出した。郊外の野の上に、秋の晴々とした光りが一面に降り濺いでいた。私の心も晴々としていた。私はただみさ子のことを考えた。遠い昔の人ででもあるかのように、或る一定の距離を置いて、しみじみとしたやさしい眼差で、彼女は私を眺めていた。落付いた静かな微笑みが私の心に上ってきた。
それから間もなく、私はみさ子の小説を書いた。
底本:「豊島与志雄著作集 第二巻(小説2[#「2」はローマ数字、1−13−22])」未来社
1965(昭和40)年12月15日第1刷発行
初出:「サンデー毎日」
1923(大正12)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年8月16日作成
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