お気の毒で、お可哀そうで、と言っては生意気のようだけれど、どうしていらっしゃるかしらと思ったのだ。どの程度か分らないが、胸の御病気で、それに胆嚢もお悪いとかで、半年ばかり、瀬戸内海に面した郷里へ帰って、療養してくるとのこと。前夜は私、へんなことで帰りが遅くなったが、手塚さんは少しお酒を飲んだとか、ぽーっと頬を赤くしていた。それだけだった。それでいいのかしら。手塚さんとお姉さんは、愛し合っているのだ。そしてこれから半年ばかり別れねばならないのだ。それなのに、何事もなかった。いつもの通りだった。手塚さんが茶の間で話しこんでるだけだった。それきりで、明朝は早く起きなければならないからと、みんな早めに寝た。その、何事もなかったということが、朝になってから、却って私の気にかかった。
二階は、もう蚊帳も布団も片付けられているのに、電燈がついていなかった。おや、誰もいないところに踏み込んだ気持ち……私は立ちすくんだ。けれどすぐに眼は馴れてきた。東の空の曙光を受けてぼーっと明るかったのだ。植木鉢が三つ四つ並んでる出張り框に腰掛けて、手塚さんは私の方をじっと見ていた。へんに工合がわるくて、私は言葉もなく、微笑も出来なかった。
「こんなに早く、あなたも起きたんですか。」
手塚さんはいつから起きてるのかしら。
「なかなか夜が明けませんね。まだ星が光っていますよ。」
そして手塚さんが、向うむいて空を見上げたので、私はほっとして、その側までいった。大気が白んでるだけで、中天はまだ薄暗く見え、星が幾つか、妙に近々と浮き出して閃めいていた。
そして暫く黙っていたが、突然だった。
「喜久子さん。」と手塚さんは私の名を呼んだ。
私は振り向いたが、手塚さんは首垂れて眼を伏せていた。
「喜久子さん。僕は黙っていようと思ったんですが、やはり、打明けましょう。郷里へ帰って、身体がなおったら、また出てくるつもりですが、それもいつのことやら分らないので、あなたにだけ、この心の中を打ち明けておきたくなりました。どう思われようと、ただ打ち明けておくだけで、僕の気持ちはさっぱりします。実は、僕はあなたの方を愛していたんです。ほんとに、あなたの方を愛していたんです。今でも、あなただけを愛しているんです。こう言っても、あなたの愛情を求めるつもりではありません。ただ、知っておいて頂きたいんです。はじめからあなたを
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