辰さんには、長谷川さんが滞在なさるからと言って、近くにある自分の家へ、夜は帰すことにした。それからあの大雷大雨の夜。酒や怪談……。
余りに淡々と話されると、却って嘘のようだった。
「こちらへも、時々お客さんがあるのでしょう。そんな風に、いつも誘惑なさるんですか。」
「まあ、そんなこと、誰に向って仰言るの。」
「それでは、どうして、僕に目をつけたんですか。」
彼女は眉根をちらと寄せて、それから急に、真剣な面持ちになった。
「ためしてみたんです。」
「え、僕を。」
「いいえ、わたしのこと。」
「御自分をためしたんですか。」
「もうためしてしまったから、打ち明けましょうか。」
それがまた、超自然的なことだった。
或る夜、それも深夜、床の間に立てかけてある琴の、十三本の絃が、じゃじゃんと、一度にかき鳴らされた。そしても一度、じゃじゃんと。彼女は眠っていたのだが、事前にふっと眼を覚して、確かにそれを聞いた。あとはしいんとして、ことりとの物音もない。怪しんで起き上り、そこらを見調べたが、琴にも、どこにも、異状はなく、鼠一匹いなかった。
翌日の夜、また同じことが起った。
一種の奇蹟なのだ。奇蹟は、運命の転廻を意味する。それをためしてみたのである。
「あなたを、相手に選んだこと、御免なさい。」
口では御免なさいと言いながら、少しもあやまってる風はなかった。
「そして、ためした結果は、どうなんです。」
「まだ、ためしただけで、あとのことは、待ってるだけですの。」
そうなると、これはもうはたから窺※[#「穴かんむり/兪」、第4水準2−83−17]すべからざる事柄だ。
長谷川は最後の反撥を試みた。
「それにしても、あなたはいいましたよ、あまり深く想ってはいけないと。そのことも、僕ははっきり覚えています。」
千代乃は黙っていた。
「僕も、もう三十五にもなるし、多少の分別はあります。あなたの迷惑になるようなことはしません。然し、深く想おうと、浅く想おうと、それは僕の自由にさしといて下すっても、いいでしょう。」
「いいえ、違いますの。そんなことじゃありません。」
「では、どういうことですか。」
「わたし自分のことなの。」
「僕は、僕の方のことを言ってるんですが……。」
「違います。わたしのことよ……分らないの?」
ふいに、片手を差しのべ、彼を打つまねをしかけたが、とたんに
前へ
次へ
全49ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング