しを見物しました。板の上に四方を紙で張った、小さな行燈《あんどん》みたいなものを拵え、中に蝋燭をともして、波打際から、沖へ押し流すのです。大家《たいけ》で新仏のあるところでは、舟を仕立てて幾十もの行燈みたいなものを、沖の方に浮べ流すのです。それが、湾内の静かな海の上にゆらゆらと浮いて、波頭にもその火がちらちら映って、とても綺麗です。
 穏かな晩でした。月は、雲にかくれていたか、それとも出ていなかったか、海岸は薄暗く、そして一面にぼーっとして、かすかな微風がそよそよと吹いてるきりでしたが、夜の浜辺は涼しく爽かでした。磯づたいに、砂の上を、どこまでも歩きたいような晩でした。私達は沖の燈籠を見、波に映ってるその火を見、そして生や死のことなどを考えていました。仰いで星を見ることなんかしませんでした。私には悲しい結婚が、恐ろしい物影のように前に立塞っていました。その時、今村さんと何のことを話していたか覚えていませんが、今村さんは突然私の手を執って、あなたに足りないのは力だけだ、と云いました。私悲しくなって、今村さんの手をはなさず、縋りつくようにして歩いていきました。人がちらほらしますので、浜辺から少し離れて、松の木が七八本立ってるところまで行った時、松の根が出てる上に、今村さんは真白なハンケチを拡げました。そこに腰をおろす時、私は今村さんによりかかってしまい、今村さんは私を引寄せ、そして初めて、キスをしました。強く強く抱きしめられたということ以外は、頭がぼーっとして、何にも覚えていません。
 ただそれだけのことが、どうして今迄忘れられなかったのでしょう? 今村さんも私も、愛してたかどうかさえ分りません。ただああいうことがあったというだけです。私が結婚生活に破れて東京に出て来て、叔母と一緒に小料理屋などを始めた時、今村さんの住所をきいて手紙を出したのも、同郷人の応援を頼むという意味だけでした。けれど、心の底では、単なる同郷人だけではありませんでした。その、何というか、あの時よりずっと前から、赤ん坊の時から、よく知り合ってるというような親しみの気持が、次第に大きくなってきました。今村さんに久しぶりで逢ってみると、私の方が余り変ったせいか、少しも変っていないような気がしましたばかりか、背丈が少し小さくなった――そんな筈はありませんが――でもそういう気がしました。それがなお、親しみの
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