ことを、後々までしつこく覚えてるやつにはかないません。」
「然しそんなのは、生酔いですな。」
「ところが、酔えば酔うほど、その時のことをはっきり覚えてるのがありますよ。うちの女房なんかその方でしてね……。奥さんはどうですか。」
朋子はただ微笑しただけで、何とも答えなかった。
「もっとも、奥さんはちょっと内山さんの相手をなすってるだけで、ほんとにお酔いなさることなんかないでしょうけれど……。」
中村は眉間に皺を寄せて、何やら考え込んだ。それから暫くして、ふいに呼びかけた。
「内山さん、あなたがたのために、わたしはとんでもない迷惑を受けましたよ。」
「ほう、そりゃあ初耳ですね。」
「そうでしょうとも。こんなこと、わたしはまだ誰にも饒舌ったことがありませんから。」
「そんなら、当人の僕に最初にお饒舌りなすったら、どうですか。」
「さあてな、そうしましょうか。」
中村は内山と朋子の方を眺めながら、なかなか言い出さなかった。
「つまり、その……。」
考えをまとめるかのように間を置いた。
「つまり、あなたがた二人が、あまり仲がいいものだから、女房のやつ、焼餅をやきましてね……いや、焼餅というわけじゃありませんが、あなたがたのことを例にとって、わたしをさんざんに責め立てるんですよ。」
「そりゃあ、僕の方は濡れ衣ですな。」
「内山さんと山田さんお二人をご覧なさい。正式に結婚もなすっていないのに、あんなに仲よく、いつも連れ立って歩いていらっしゃるじゃありませんか。あなたはどうですか。結婚したてこそ、ほんのちょっとやさしくして下すったが、あとはもう見向きもしないで、一度だって、物を食べに連れて行ったり、映画を見に連れて行ったりしたことが、ありますか。わたしはまるで女中同様で、そして御自分はさんざんふしだらをしていらっしゃるじゃありませんかと、そんなことを言い出しましてね、ひどくおかんむりなんです。もっとも、わたしの方にもちょっと後ろ暗いことがあるにはありましたが、大したことじゃありません。とにかく、何か不平がある度に、内山さんをご覧なさい、内山さんをご覧なさいとくるんで、被害甚大ですよ。」
おばさんが、調理場から声をかけた。
「中村さん、そりゃあ、あんたの方が悪いんですよ。もっと奥さんを大事にしてあげなさい。こないだもわたしのところに来て、こぼしていましたよ。」
「然しあいつ
前へ
次へ
全11ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング