ら》を這えば雨、空せえ上れば天気と、そう、まあきまったもんだが、なあに、今日は大丈夫、今に見ていてごらんなせえ、霧が上へ上へとあがって、鳥の飛んでるのが見えてくるから……。浜に鳥が群れていれば、沖へ魚《さかな》がついていると、そういうわけだよ。」
そして彼は、これから大漁が続くと予言しながら、漁の少い夏場だけやって来る旅客をけなし、遅くまで居残ってる私をほめ、第一これからは、川に群れてる鯔《いな》にも脂がのってくる、鯔の食える季節は、山に初茸の出る時期の間だけだと、そんなことを話してきかした。かと思うと、今にひどい暴風雨が襲ってくると、波が砂浜を越して川や沼まで一面の海となり、旅館の庭先まで波頭が届くから、それを見なければ、この外海の様子は本当に分るものではないと、そんなことも話してきかした。それから、善良な笑いで長い眉毛をびくつかせながら、旅館の勝手元の方へ立去っていった。
彼の話の間は気付かなかったが、一人になって眺めてみると、霧は果して一面に濛と湧き返って、それが次第に空へ昇っている。そして鋭い朝日の光が、いつしか横ざまに直射して、蜘蛛の巣の露は消え、その下の叢から虫の声が断続し、裏の松林の中には、晴れやかな小鳥の声が響いていた。
霧は間もなく空中に消え去って、沼の彼方の砂浜には、海鳥の群が舞い飛んでいた。六弥が云った通りに、今日もやはり大漁らしい。方々で、地引網の曳子を呼び集める喇叭が鳴っている。
青々とした空と海、澄みきった日の光、その間を爽かな凉風が、葦の穂先を撫でながら、遠い沖から裏の松林の懐へ、軽快に吹き込んでゆく。単衣一枚に肌寒い思いをしながら、私はいつまでもぼんやりしていた。六弥が云ったように、暴風雨が襲来して庭先まで波頭が来る日まで、ここに滞在していようかなどと、頭の遠い奥で考えながら、また、そういう時にでもならなければ、大儀な身体を動かせそうにもないと、胸の遠い奥で感じながら、人気のない旅館の縁側で、半身を初秋の日に曝していた。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年5月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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