、だいぶ衰弱してるようだった。それを無理やり、往来の方へ追い出した。
 それから暫くすると、その仔猫が、こんどは物置の屋根の上に登っていた。田宮は腹を立てて、物干竿で叩き落してやった。猫は鳴きもせず、逃げもせず、地面に蹲まってしまった。そこへ女中が来て、猫を竹箒の先で掃き去るようにして、往来の可なり遠い所へ追っ払ってくれた。
 それは夕方のことだったが、その翌日、用達しから帰って来た女中が言うのには、あの仔猫が焼跡の路傍にしゃがんでいたそうである。それを聞いて、田宮は眉根をしかめた。
 仔猫はおそらく、一晩中、その辺にじっとしゃがんでいたのだ。家にも入れて貰えず、食物も与えられず、しょんぼりと何かを待ちながら黙りこんでじっとしていたのだ。いったい、何を待っていたのであろうか。そしていつまでそうしていることであろうか。
 その仔猫の姿が、はっきり脳裡に浮んだ。今もまた、湖面の残照の中に蘇ってきた。浅間しいというよりは、哀れな悲しい姿だった。
 田宮自身、この大自然の中にあっては、哀れな悲しい者と自ら思われた。ホテルの横手に楡の喬木の林があり、その中に踏み込むと、ただほろ寒かった。盛夏でも
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