は時には無謀大胆で、そして常に勇敢で、威令を振いました。ところが或る日、湖水のほとりで、死体となって横たわっているのが、発見されました。背中に二ヶ所、銃弾を受けていました。
 范志清の葬儀は、その民兵団の公葬となりました。阮東は、ただ沈鬱に黙々として、葬儀を主宰しました。
 死体は、楠の大木のくりぬきの箱に、朱を塗って納められ、五寸ほどの厚みの楠の蓋が、鎹で留められました。墓地は、本人の姓名と生年月日とで占われることもなく、ただ阮東の見立てにより、湖水のそばの小高い丘の上に定められ、やがて、柩を埋めた上に煉瓦の廟を築くように準備されました。木蓮の花が式場一面に飾られ、むせかえるような芳香でありました。遠くから迎えられた大禅師が読経一切を指揮しました。
 葬儀万端、盛大に滞りなくすみまして、その夜、さめざめと泣いてる中敏と、すやすや眠ってる二歳の子供との枕頭に、阮東は腕を組んで、いつまでも坐っていました。中敏が泣き疲れて眠ってからも、なお夜通し坐っていました。眼を見据え、眉根をよせて、何か或る想念を、幻像に喚起しようとしてるかのようでありました。時々、酒をのみました。
 夜の明け方、彼は胸から一片の紙を取出しました。紙には、「誓約を返上し、後事を委托す。」と認めてありました。范志清がかねて用意していたものとみえて、その死体の内隠しの中から見出されたものでした。阮東はその文字をじっと眺め、それから、火桶の火に紙をくべました。黒い煙が、そして次に白い煙が、ゆらゆらと立昇りました。――その誓約というのが、どういうことだか、誰も知りませんでした。ただ、後で范志清のことを語る阮東の言葉のはしから察すれば、死体を共にするというほどの普通のことらしく思われるのでした。
 その翌日、阮東は突然、奇怪な行動をとりました。
 范志清を狙撃した犯人はどうしても分りませんでしたが、それについて阮東は、民兵団全員に責任を問い、この責任は血を以て贖うべきであるとし、その血の犠牲者五名を選出せよと、断乎たる命令を出したのであります。
 人々はどよめきました。いろいろと諌める者もありましたが、阮東は命令を取消しませんでした。
 するうちに、血の犠牲者として、自ら進み出て来た五名がありました。常に范志清のそばで戦ってきた逞しい若者たちでありました。
 彼等は阮東の前に直立して、決心の色を顔に浮べていま
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