ほどですか。」
「明晩までに八千金というのだ。」と平然たる調子でした。
「それだけの金が、うちにありますか。」
「この前やられたのでね、半分もあるまい。」
「では、どうなさるのですか。」
「どうにか、なるようになるだろう。家の者は皆、蔵の奥に隠れることになっている。わしは、人質になるかも知れない。」
「それでよいのですか。」
「よいもわるいもないのだ。そのため、今晩ゆっくり、御馳走を食べることにした。お前が帰って来たので丁度よかった。ただ残念だが、お前たちは、明日の朝出かけなさい。」
「本気でそう仰言るのですか。」
「どうも仕方がない。」
「お父さん。」
「お前はまだ若い。世の中のことが分るものではない。」
 父親の落着いた平気な調子は、阮東の血を却って湧き立たせました。
 彼はいきなりつっ立って、范志清に叫びました。
「おい、土産物を持出そう。あれが途中で役立たなくて、家に帰って役立つとは、僕は夢にも思わなかった。」
「よろしい、僕が引受けた。」
 范志清は、杯を高く差上げ、一息にぐっと飲みほして、ふらふらした足どりで、室から出て行きました。阮東も出て行きました。
 暫くすると、二人は、小銃を二挺ずつかついで戻って来、それを音高く食卓の上に投げ出しました。
「僕たちの土産物です。」
 女たちは声を立てました。男たちは立上りました。
 阮大人は静かにいいました。
「今晩だけは許すから、賑かにやって、そして、お前たち二人は、明日の朝、ここをたちなさい。」
 それももう、二人の耳にははいりませんでした。若い人たちが集ってきて、乾杯の音がしきりに起りました。
 酒杯のうちに、匪賊に対する計画は進められました。小銃が四挺に拳銃が二挺あります。弾薬も充分にあります。なお家の中には、いろいろ武器もあります。動員出来る若い農夫や漁夫も、近くに大勢いる筈でした。
 そのうちに阮東と范志清とは、長旅の疲れも出て、長椅子の上にうとうと眠りました。
 阮東が眼をさました時は、もう太陽が高く昇っていました。范志清が万事の指揮をして、忙しく動き廻っていました。
 阮東は、長年ぶりの生家に、而も戦闘を目前にひかえて、なにか涙ぐましい気持で、ぶらりと庭の方へ出て行きました。数本の灌木が紅葉し、叢のなかに咲いてる小さな花の白と紫が、眼にしみました。少し剥げおちた白壁には、昔のままの汚点がついていま
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