き、庭に出で、木戸から外へ忍び出た。栄子は酔いくたびれて眠っており、家の人々も眠っており、どこの家も眠っていた。おれ一人眼をさましたのが不思議だ。冷たい小雨が降っていた。
 雨の中を歩きながら、おれは一生懸命に考えていた。何を考えたのか自分でも知らない。突然、頭の中にぼーっと明りがさしたような気持ちでおれは駭然として立ち止った。
 栄子殺害の計画を、おれは考えていたのだ。然しどうも、おれ自身が考えていたのではなく、他の、何物かが考えていたらしく思える。何物なのか。焼酎の酔いと同じような、ヒロイズムの残滓か。いや、そんなけちなものではない。とてつもなく大きなものだ。
 頭の中の明るみが、ぱっと燃えだして、大きな焔を立て、すぐに燃えつきて、真暗になった。何も見えなかった。おれはまた歩きだした。躓き躓き歩いた。
 体も神経も精神も、ひどく疲れきってる感じだ。何か、ちょっとした一角が、崩れかけてるようだ。それは重大なことで、もしその一角が崩れれば、全部が危殆に頻する。おれの生活全体が、おれの思想全体が、がらがらと崩壊するかも知れない。しっかり持ちこたえなければならなかった。然し、どうしたらいいか。頭を首の上に持ち上げてるのさえ、容易なことではなく、おれはますます首垂れていった。
 ぽつりと、遠くに灯が見え、すぐに消えた。それが、おれに恐ろしい衝激を与えた。おれはくるりと引返して、家に戻っていった。力が出て来た。そうだ、おれは栄子殺害の計画を考えていたのだ。児戯に類する。立ち直らなければいけない。然し、なにか忘れものをしてるようだ。あ、戸川が言ったのだった。彼だって忘れものをしてるし、おれだって威張れやしないが、忘れものぐらい……。いや違う。どこか不具だったんだ。半身を取り落していた感じだ。回復しなければ……。
 雨は少し大粒になってきた。もっと降れ、ざーっと降れ。だがおれはもう恐れずに自分の室へ戻っていった。



底本:「豊島与志雄著作集 第五巻(小説5[#「5」はローマ数字、1−13−25]・戯曲)」未来社
   1966(昭和41)年11月15日第1刷発行
初出:「ユニヴァーシティー No. 2」
   1949(昭和24)年10月
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年9月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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