その後あいついで、多くの詩集や戯曲や小説を発表する前途をもっていた。
 彼は『死刑囚最後の日』に自分の名前をつけず、無名の者の作として発表した。このことについては、その後一八三二年に彼が公然と仮面をぬいで書いている長い序文を、ここに訳出しておいたから、あらためて何も言う必要はなかろう。この作品が発表された当時、政治や道徳や文学などの見地から、いかに多くの反響を、そして物議を、まきおこしたかは、作者自身が一八三二年に書いている『ある悲劇についての喜劇』という小篇によっても、ほぼ推察することができる。
 この『ある悲劇についての喜劇』は、『死刑囚最後の日』の一種の序文みたようなもので、引き離せないものとはなっているが、じつは文学史的研究に役立つだけで、作品としてはつまらないものであるから、私は訳出することをやめた。
 『死刑囚最後の日』は人を狂気せしむる作品だと、ある人が言っている。実際そこには、死刑の判決を受けてから断頭台にのぼせらるる最後の瞬間に至るまでの、一人の男の肉体的および精神的|苦悶《くもん》が、微細に解剖され抉剔《けってき》されている。生きてる首をきらるる、自然から受けた生命
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