死刑囚最後の日解説
豊島与志雄

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)抉剔《けってき》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)元気|溌剌《はつらつ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ]訳者

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Le dernier jour d'un condamne'〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
−−

『死刑囚最後の日』Le dernier jour d'un 〔condamne'〕[#「Le dernier jour d'un 〔condamne'〕」は斜体] は、ヴィクトル・ユーゴー(Victor Hugo)の一八二九年の作である。作者は数え年で二十八歳、元気|溌剌《はつらつ》たる時であって、既に詩集二冊と戯曲『クロムウェル』とを発表して、ロマンチック運動の先頭に立ち、翌三〇年には、戯曲『エルナニ』の公演を機縁とするロマンチック運動の勝利をもたらし、その後あいついで、多くの詩集や戯曲や小説を発表する前途をもっていた。
 彼は『死刑囚最後の日』に自分の名前をつけず、無名の者の作として発表した。このことについては、その後一八三二年に彼が公然と仮面をぬいで書いている長い序文を、ここに訳出しておいたから、あらためて何も言う必要はなかろう。この作品が発表された当時、政治や道徳や文学などの見地から、いかに多くの反響を、そして物議を、まきおこしたかは、作者自身が一八三二年に書いている『ある悲劇についての喜劇』という小篇によっても、ほぼ推察することができる。
 この『ある悲劇についての喜劇』は、『死刑囚最後の日』の一種の序文みたようなもので、引き離せないものとはなっているが、じつは文学史的研究に役立つだけで、作品としてはつまらないものであるから、私は訳出することをやめた。
 『死刑囚最後の日』は人を狂気せしむる作品だと、ある人が言っている。実際そこには、死刑の判決を受けてから断頭台にのぼせらるる最後の瞬間に至るまでの、一人の男の肉体的および精神的|苦悶《くもん》が、微細に解剖され抉剔《けってき》されている。生きてる首をきらるる、自然から受けた生命を人為的に奪い去らるる、その当人の現実的な苦悶が、熱情をもって叙述されている。そしてすべてが、死刑廃止の主張へと集約される。
 なお、これに類する作品をユーゴーはいくつも書いているが、それらの作品は、要するに、当時の社会組織に対する熱烈な抗弁である。教育の問題、貧富の問題、身分階級の問題、天意にさからう人為的死刑の問題など、広範な提案を含む。すべての人に教育を、すべての人に仕事を、すべての人にパンを、すべての人に平等な権利を、与えるべきであると著者は主張する。そしてこの主張は、著者が生涯を通じて叫びつづけたところのものである。
 ヴィクトル・ユーゴーは、詩や小説や戯曲や論説などあらゆるものを書いているが、その核心においてはロマンチックな詩人である。このロマンチスムが、当時の十九世紀の社会状態に内在する不正義と対決するとき、人間の社会的ありかたについての熱烈な主張が生まれてくる。その理想主義は熱情に燃えて、小説までがなかば論説の面影をおびる。そしてこの種の小説の欠点としては、作中人物が作者によって勝手に操縦される傀儡《かいらい》になりがちだということが、指摘される。ユーゴーの最大小説たる『レ・ミゼラブル』についても、このことは言い得らるる。
 小説と論説との限界については、いろいろと微妙な問題がある。それはとにかく、『死刑囚最後の日』のごときは、小説と論説との中間をゆくものとして、注目すべき作品である。そして現在においても、「磔刑《たっけい》台のかわりに据《す》えられた十字架」の時代がくるまでは、かかる種類の作品はその存在の理由をありあまるほどもつだろう。
 ついでにことわっておくが、『死刑囚最後の日』について、作品と序文とを逆にならべたのは、執筆順序にしたがったからのことである。それから、この作品の翻訳は、ずいぶん古い以前になされたものであって、原文の調子を尊重しすぎて詰屈《きっくつ》すぎるきらいがあるかもしれないが、改訂の隙《ひま》がなかったことをお詫びしておきたい。

[#地から3字上げ]訳者



底本:「死刑囚最後の日」岩波文庫、岩波書店
   1950(昭和25)年1月30日第1刷発行
   1982(昭和57)年6月16日改版第30刷発行
入力:tatsuki
校正:川山隆
2008年5月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネット
次へ
全2ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング