ずいぶん目をかけてやっておりました。家庭で働くというよりは、たとえて申せば、会社の女事務員とか、デパートの売子とか、そういう方面へも向くような人柄でした。或る時、ふと、そのことに触れてみますと、
「そのようなこと、きらいでございます。」
 一言、きっぱりと答えました。
 ふだんは無口な代りに、思ったことははきはき言う方でした。言葉遣いも、田舎から出て来た当座は、だいぶ訛りがありましたが、たいへん早く標準語に直ってしまいました。電話の受け応えも、自然に覚えてしまいました。まあ、頭がよろしいとでも申しましょうか。
 でも、よく注意してみますと、いつもにこにこしておりますが、どことなく陰気らしいところ、なにか暗い影を背負っているようなところが、ありました。会社勤めなどは嫌いだというのは、本当のことだったのでしょう。手紙は時々参りましたが、往き来する友だちもなかったようでしたし、映画を見に行くこともめったにありませんでした。
 母親は幼い時に亡くなり、父親の手で育てられたのですが、あの子の言葉のはしばしから察しますと、頑固な一徹な気性の父親だったらしく思われます。兄は、事件当時こちらへ出て来ましたので、わたくしは直接逢いましたが、律気なむっつりした男でした。いったい、あの子は自分の身の上のことを、あまり口にしたがりませんでした。
 あとで、も一人の女中、近《ちか》さんに、聞いたことですが、あの子は郷里にいる頃、女学校を卒業する前後のことでしょうか、ひそかに愛してる男があったようです。同じ村の、昔は大きな地主だった格式の高い家の息子で、東京の或る専門学校に通ってる学生でした。休暇の折りには、いろいろな物を買ってきてくれたそうです。二人の仲がどれほどのものだったかは分りませんが、まあ、初々しい牧歌的なものだったのでしょう。ところが、その学生が、東北地方の山に雪中登山をして、遭難して死にました。何という山だか、近さんは聞きもらしていましたが、この話ぜんたいも、近さんの想像が相当にはいっているらしく、確実なことは分りかねます。けれども、このことが、あの子の心に深い極印《こくいん》をおしていたに違いないと、いろいろな点で考えられます。
 わたくしはあの事件後、ひそかに、あの子の室を仔細に調べてみました。警察の方でさんざん掻き廻した後のことでもあり、もとより、何の手がかりも得られません
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