き、検屍の医者が来る少し前に、死人は、そこから程遠からぬ三上さんの家の奥働きの女中、田代清子と判明した。
 死体の様子には、取り乱したところは少しもなかった。他殺とも考えられず、自殺とも考えられなかった。念のために死体解剖が行われたが、外傷も内傷もなく、毒物も検出されず、処女であることまで立証された。凍死と見る外はなく、死期はだいたい吹雪の時の夜半過ぎと推定された。然しそれだけでは、なんとなく辻褄の合わないところがあった。
 彼女が奉公してる三上家の主人、三上宗助は、国会議員だった。家族としては、夫人と、中学上級の男子、同下級の女子。下働きの女中が一人いた。清子は一年ほど前から、知人の世話で奉公し、奥働きの女中、つまり軽い意味の小間使として、真面目に働いていたのである。夫人の気にも入っていたし、周囲の評判もよかった。
 吹雪の夜の夕食後、家事も一通り片附いたあと、八時か九時頃、清子はちょっと買物にと言って、出かけた。まだ雪はそう降っていなかった。それきり帰らなかったのである。三上夫人は心配して、彼女の室を調べたが、平素と変った様子もなかった。それでも、二晩と二日待っても帰らないので、夫人は、捜索願いというほどではなく軽い意味で、一応警察に届けさしておいた。
 清子は出かける時、番傘をさして出かけた筈だが、その傘が見当らなかった。他に紛失物はなさそうだった。二百円ばかりはいってる紙入も所持していた。傘は風に飛ばされて、誰かが拾っていったとの解釈もついた。
 いったい、どうして凍死するようなことになったのか、痴漢に襲われた様子もないし、自殺としては、動機も不明だし、他に方法もあった筈だ。誰かに誘拐されたとも思えないのは、胃袋に夕食外のものははいっていなかったし、死亡時間からも推測された。恐らくは、買物に出かけて、その帰り途、あの斜面を吹雪のために滑り落ち、気を失って、凍死するに至ったのであろうと、そう認定された。買物については、何を買うつもりだったのか、誰も知ってる者がなかった。
 この認定に達するには、実は、三上宗助の内密な運動もあった。国家議員という肩書がいくらかの効果をもたらした。なお、三上夫人が警察に一応届け出ていたことが、有利だった。清子が処女だったという事実は、基本的な条件となった。
 斯くして、過失死と認定され、警察の捜査は打ち切られた。仮りの葬儀が営まれ
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