て真剣に、じっと坂田の顔を見ながら、ずけずけと而も整然と云い進んだ。が坂田は眼をそらして、何か他のことを考えこんでる様子だった。
 坂田はふいに顔をあげて、敏子を眺めた。が然し、まだ遠い視線だった。
「中津君は、なぜ相場なんかに手を出したんですか。」
 ぼんやりした調子だったので、それが却って敏子の胸によくはいったらしく、彼女は曖昧な微笑の影を浮べて答えた。
「やっぱり……お金がほしかったのでしょう。」
「そんなに必要だったんですか。」
「どうですか、あたしには分りませんけど……。」
「そんなに必要だったのなら、なぜ損ばかりしたんです。」
 敏子は返事をしないで、ほんとに微笑んでしまった。
「あんなに貧乏するって法はありません。穏かに暮していけたのに、わざわざ貧乏するということがありますか。母親や……妹がある以上は、そして、結婚までした以上は、子供まで拵えた以上は……じっとしておればいいんです。それを、あんな風に、何もかもめちゃくちゃにして、犬のような眼付をしてうろつきまわって、人につきまとって……。」
 坂田はふいに口を噤んだ。敏子は急に頬をこわばらせ、眼を大きく見開いた。
「では……あの、あれからもまた、お願いにまいったことがありますの。」
 坂田は返事をしなかった。暫くたって、呼鈴に手をふれて、女中をよんで珈琲を命じた。
 それは何だか、話をぶち切る相図のようなものだった。敏子は黙って、かたくなっていた。その眼はうるんでいた。
 坂田は珈琲をすすって、室の中を歩きだした。腹を立ててる様子だった。考えこんでる様子でもあった。やがて、その眼が異様に輝いてきた。彼は屑籠のところにいって、その中をかき廻して、引裂いた敏子の手紙を取出してきた。
「これは、今日あなたから来た速達の手紙です。この通り引裂いて捨てました。あなたが私の……あれを引裂かれたのと、丁度帳消しです。これで、私達は対等に御話が出来るわけです。」
 敏子は顔色をかえ、唇をかみしめて、坂田を見つめていた。坂田は紙片をまるめてまた屑籠に放りこみ、椅子に腰を下した。
「そこで……何の御用ですか。」
 おかしなことには、それまで、敏子の方でも坂田の方でも、まるで用件を忘れてたかのような風だった。だが、それより先に、引裂く云々の一件を説明しておこう。――中津が方々の負債にせめられて、どうにもならなくなった時、そしてなお、自棄《やけ》気味の放蕩から会社も止めなければならなくなり、家には細君の産後の病気もあり、切端つまって、坂田に相談をもちかけてきた時、坂田はそれを引受けてやった。そして負債全部をすまして、今後相場などには手を出さないという条件で、一万七千円の小切手を書いて渡した。中津は今後のことを誓った。そして心から感謝して、それを妹の敏子へも打明けた。敏子は顔色をかえた。彼女はその頃、生活の苦しい余りに、自ら進んで、或るデパートに勤めていた。ところが、ふとしたことから、そのデパートの朋輩の一人を、坂田が誘惑して弄んだことを知っていた。甘言で誘って、どこかに連れこんで手籠めにしたとか、其の後問題になりかかったのを、デパートの支配人に手を廻してうやむやに葬ったとか、事の真相は茲に明かすべき限りでないが、とにかく金銭を以て非道を行ったとの話である。その上、敏子と坂田との間にも何か感情上のもつれがあったらしく、後になって想像される。要するに敏子はひどく憤慨した。デパートにまで出勤している自分の立場を説き、兄を責め、坂田を罵り、坂田の小切手を引裂いてしまったのである。中津は意外の結果に呆然とした。そしてどうにか敏子をなだめ、引裂かれた小切手の破片を持って、坂田に詫びに来た。事情を隠すわけにもいかなかった。坂田は小切手を書きなおして与えた。そして云った。「僕は弁解はしないが、その事件についてはいろいろ誤解もあるようだ。然し、敏子さんの方が恐らく正しいかも知れない。」それきりで、彼はもうその問題にふれたくない様子だった。というよりも寧ろ、そんなことは些事で、もっと重大な問題が彼の心に浮んできたらしい様子だった。

 坂田は椅子に深く身を托して、返事を待っていた。敏子は彼の顔を見つめたまま黙っていた。
「どういう御用ですか。」と坂田はくり返した。
 敏子の眼には苦悩の色が浮んだ。それをじっともち堪えているうち、彼女の顔は冷くそして美しく輝いてきた。彼女は兄と十二三も年齢がちがい、その間の二人の姉も、一人は結婚し一人は夭折していたが、彼女よりずっと年上だったせいか、彼女のうちにはのんびりした我儘さが残っていて、それが理知的な色に包まれ、更に苦悩の色にそめられると、新鮮な美しさを現わすのだった。そしてまた顔立も、肩が少しくいかついわりに細そりしていて、人中にいる時よりも一人になるほど目立ってく
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