いだろうか。――このことは、人間的なもの、人間の本性、それに起因する。文学は常に人間そのものを凝視するのだ。
それ故に私は、今日の条件というものを、政治的に理解されることを忌避する。もとより、現在から将来に亙る人間の考察に当っては、孤立した個人を抽出することは殆んど不可能であり、個人は常に、何等かの集団の一員、社会の一員として、不可分に存在するものとして理解されなければならない。だから人はみな、広義の政治の中に生きている。けれども、現在の一般通念としては、政治は権力観念と不可分の関係にある。そしてこの権力観念こそは、今日の条件のうちの最悪なものの一つなのだ。文学はそれに反抗する。つまり、所謂政治の線に沿っては進まないで、別なコースを取る。――所謂政治の線にのみ沿って進む文学が、人間的血液の乏しい傀儡ばかり跳梁する拵え物に、ともすると転落する例は、あまりに多く見られた。政治を権力観念から解放することも、文学の一つの仕事であらねばならぬ。
彼方の社会、そこでは文学が無償のものとなり、数々の技能が咲かせる花の一つとなる、そういう社会が実現するまでは、文学は、私の要望する文学は、常に苦難の途を辿り、反逆闘争の歩みを続けねばならないだろう。そしてそういう文学を背負い込む宿命を甘受する文学者に、私は同感と敬意とをこめた握手の手を差出す。
さて、この文章は、文壇への提議として書くことを求められたものであり、恐らく何か一つの具体的な発言を期待されたものであろう。私はそれを直接になさず、裏側からの概括的な発言をしてしまった。言いたいことが多すぎたせいもある。だが、要するに評論や感想というものはどうも変梃だ。如何にして小説的表現を多分に取り入れるかが、懸案である。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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