て永井さんは声高く笑いました。
 その笑い声に、菊千代はぞっと総毛立つ思いをしました。――あの舞踊の会に奥さんが来ていた筈はありませんでした。菊千代は公然と座席の方へ梶さんに挨拶に行き、暫く話しこんだことなど、いまだに覚えていました。梶さんとしても、あすこへ奥さんを連れてくるような人ではありませんでしたし、奥さんだってまさか、梶さんに内緒でやって来るような人ではなかったでしょう。それを……そんな分りきった嘘を、なぜ永井さんは言うのでしょうか。
 菊千代は永井さんの顔を見つめました。
 永井さんは杯を取りあげて微笑していました。
「まあ万事、僕に任せておけよ。梶未亡人とも対等に交際出来るようにしてあげよう。実は、未亡人の方では、君と梶君とのことをはっきり知ってはいないんだよ。」
 菊千代は頬の筋肉が震えてくるのを押えつけて、無理に微笑みました。
「お願いがあるんですけど……。」
 永井さんは顔をつき出しました。
「清香さんをかけて下さらない。お義理を返したいのよ。」
 きょとんとしてる永井さんをそのまま、返事も待たないで、菊千代は自分で立っていきました。お上さんに清香のことを頼んで、俥も
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