によることも多かったようでした。
 飲み疲れても檜山はまだ立ち上ろうとせず、一人ぽつねんと、脇息にもたれ、両腕を組んで、憂鬱そうな溜息をつくことがありました。菊千代はかいがいしく卓上の小皿物などを取り片付け、きれいにウイスキーの瓶だけにして、足附きグラスを檜山の前に差し出しました。
「さあ、おしまいにもう一杯、元気をつけていらっしゃいよ。それとも、ハイボールにしてきましょうか。」
 眼鏡の下にうすら閉じかけてる眼を、檜山はびっくりしたように見開いて、菊千代を眺めました。
「君、まだいたのかい。」
「だって、僕が帰るまで帰っちゃいけないって、恐ろしい見幕だったわ。いつもそうなのよ。」
「そうなんだ。だから… 感心してるよ。」
「感心はいいけれど……。」
「ちっと、迷惑なんだろう。」
「いいえ。ただね、檜山さん少し心細いわ。」
 菊千代が深々と見入ってくるのを、檜山は避けて、ウイスキーを一息に飲み干しました。そして真摯な眼色になりました。
「君の言うことは分るよ。だが、まあ当分は大丈夫だろう。」
「足がかりが出来てきたの。」
「出来やしないさ。だが、そう易々と滑り出しもしないよ。」
「危いもんね。」
「いよいよの時は、君を足がかりにするからね。」
 菊千代は頭を振りました。
「それは、無理よ。」
「いや、そんな意味じゃない。ただ足がかりだけだ。」
 菊千代はじっと檜山を見て、顔を伏せました。
「あたしも、そんなら、いよいよの時には、檜山さんを足がかりにしようかしら。」
「よかろう。約束しよう。」
 そして、二人は握手をしましたが、菊千代は寒そうに肩をすくめ、檜山はまた溜息をつきました。
 足がかりの話が、いつしか、二人の心の繋がりともなっていました。――檜山は荒れてるという友人間の説が、菊千代にはどうもぴったりこず、檜山さんはただ足をしっかり踏みしめることが出来ないでいるのだ、と感じました。菊千代自身、いくらかそういう状態でした。そして彼女は、むかし、朋輩に誘われて、山王下のスケート場に遊びに行った頃のことを思い出しました。おずおずと、手摺につかまったり、友の手につかまったりして、氷の上を歩いているうちは、まだよかったのですが、独り立ちで滑りはじめる段になると、全然見当がつかなくなりました。足だけが軽く、上体がいやに重く、前後左右いずれへか引っくり返って気絶をするか、或
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