くまとまっている故か、この山上、じっと眺めていると、なにか象徴的なものとして感ぜられる。
 およそわが国の噴火口では、浅間のそれが最も端麗でもあり壮大でもあろう。直径七百メートルもあろうかと思われる円い火口は、中途から殆んど垂直をなして深くえぐられ、その底から、濛々たる噴煙に交って、地底の轟きがわきあがってくる。払暁、東天が白んだばかりで日光はまだささない頃、火口を覗きこめば、赤熱した熔岩のわきたつのが見られる。
 それに比ぶれば、この御鉢火口は、なんとつつましく明るく、そしてあらわに自身を白日に曝してることか。だが、余りにあらわなものは、噴火口の如く熱火を内蔵する種類のものにあっては、凝視の上に象徴的な変容をする。内に恃むところある者の微笑がそこに見られる。
 眼を転ずれば、火口より右方に、鹿児島湾から桜島まで、一望のうちに見える。御鉢火口を顧み、更にまた桜島を眺めて、その噴火口に私は思いを馳せる。桜島の頂は雲に隠されているが、その雲には噴煙が交っているのだ。
 ただ悲しい哉、桜島は大正三年の大噴火の折、熔岩のため、大隅の方の海岸と陸続きになってしまった。あの美しい桜島、一日に七度も色が変るという桜島は、永久に島であれかしと願うのは、私の幼稚な童心の故であろうか。
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東海の小島が磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる
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 そう石川啄木は歌った。その情緒はもはや過去のものとなった。その代りに、島の情熱が蘇生してきたのだ。この情熱は、あらゆる感傷を排して、ただ生成の悦びに酔う。無数の島々が大東亜海に新たな生成をなしつつある時代だ。島と島とは海で繋っている方がよろしい。九州も島だが、それと陸続きにならないで、桜島はやはり永久に小島のままであってほしかった。
 桜島は雲にかくれてゆく。梅雨期の天候は変りやすい。顧みれば、御鉢火口の反対側は、全く濃霧にとざされている。私は道を急がねばならない。
 火口のふちを左手に進むところが、所謂馬の背越である。右側は火口の斜面、左側も殆んど断崖に等しい急斜面、その間の砂礫の道が、馬の背ほどの広さだという謂であろう。
 この馬の背越は、大抵風が強い。風は左側の断崖から吹きあげてくる。その風に乗って、ただ一面に濃霧だ。濃霧は馬の背越の頂で、ふっと切れて巻き返している。波のように湧きあがってくる乳色
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