の上等な万年筆を買ったりしていたのです。彼は習慣的というよりも寧ろ本能的に、毎日いくらかでも歩かずにはいられなかったようです。日曜日には必ず半日くらい散歩しました。
 そういう風に歩くことの必要からか、彼は私の家にいる間は、一日も学校を休まなかったようです。けれども、大して勉強に熱心でもありませんでした。一つは、きまった勉強室がなくて、客間の片隅を使っているために、落付かなかったせいもありましょうが、「まだ一年あるから、」とゆっくり構えこんで、家では大抵子供相手に遊んでいました。
 彼は至って子供好きのようでした。それでも、自分から進んで子供を遊ばせるというのではなく、ただ黙ってにこにこ笑いながら、子供の相手になってるのを楽しむという風でした。それを子供達の方ではいいことにして、彼を相手にいつまでも遊んでいました。丁度四つと六つの悪戯盛りで、時によると随分しつこく彼にふざけました。耳を引張ったり、鼻をつまんだり、ワンワンをさしたり、私共が見兼ねて叱りつけるようなことも度々でしたが、然し彼はどんなことをされても平気で、始終にこにこしていました。云わば彼は黙って子供達の玩具になってるのが面白いらしく、また子供達の方では、彼を生きた人形とでもいうような風に、何の気兼も憚りもない遊び相手にしていたのです。
 それでも彼は、時折子供達相手の遊びに変に真剣になることがありました。いえ、子供相手の遊びというよりも、自分一人の遊びと云った方がよいかも知れません。或る時、彼が子供達と一緒に座敷で遊んでいるうちに、夕飯の仕度が出来上って女中が呼びに行きました。でも彼はやって来ません。二度呼びにゆくと、子供達だけやって来て、彼は一人残っています。何をしてるのかと聞くと、羽子《はね》をついてるのだというのです。でそのままにして、先に食事を初めましたが、いつまでも羽子の音が続いて、彼がやって来ないものですから、また女中を呼びにやりました。それから暫くして、彼ははあはあ息を切らしながら、陰鬱そうに眉根を寄せて出て来ました。
「何をしていらしたの。」と妻が尋ねました。
「お嬢さんと五十まで羽子をつけるかどうかかけをしたもんですから、一生懸命にやってみたですが、一度にゃとても五十は出来ません。」
 骨張った額に真面目くさった皺を寄せてるその顔を見て、私共は笑うにも笑えませんでした。不器用な頑丈な手
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