が切る者には一苦労だった。固いこちこちの皮を握鋏で切るのだから、どうしても遠くへ飛び易かった。然し皮の一片でも遠くに飛び散ると、それを必ず拾わせられた。
「たとい足の皮でも、やはり身体の一部分だ、土足に踏み蹂られるところに打捨るのは不快だ。」
 それが父の理屈だった。然しそれ以上にもっと本当の理由があったらしい。
 父はどこからか、植物には人体が最上の肥料であると、変なことを聞いていたものと見える。戦争後の満洲の野がどうだとか、昔火葬場だった跡の野原がどうだとか、そんなことを話してきかしたことがある。そのためだかどうだか分らないが、足の胼胝の皮は必ずまとめて、庭の隅の大事な公孫樹の根本に埋めることになっていた。
 公孫樹は隣家の軒に近いため、半日しか日が当らなかったが、非常な勢で伸び上って、毎年枝を切り落さなければならなかった。勿論、父が足の皮を公孫樹の根本に埋める癖は、いつ頃から初ったのか僕は覚えていない。然し父が公孫樹の根本に立って、すくすくとした幹を見上げながら、快心の笑みを洩してる姿は、今でもはっきり眼の中に残っている。
「俺の足の皮の養物を吸って、この伸び上った勢を見てごらん。」
 そう云って父はよく高らかに笑った。
 けれど実際、足の皮ってそれはいくらの量でもなかった。五十銭銀貨大の胼胝を薄く切り取ったものだから、円めても小指の先ほどしかなかった。月に一二回として一年分まとめても、ごく僅かな量にすぎなかった。
「あんな少しばかりのもので……。」と云って母は嗤った。
 然し父は、人体の肥料価を主張して止まなかった。そして他に何の肥料もやらなかった。
「だけど、あなた、」と母は別な方面から父を揶揄した、「そんなに公孫樹を大きくしてどうなさるの。銀杏《ぎんなん》がなるまでにはなかなかでしょうし、それに、もし引越しでもするようになったら……。」
「その時は持ってゆくさ。俺が植えた木だから構やしない。……銀杏なんかどうだっていいんだ。兎に角、ああ威勢よく伸び上ってるところは愉快じゃないか。」と父は答えた。
 その公孫樹が果して雌公孫樹かどうかは、父にも分ってはいなかったらしい。然し父の云う通り、年毎にずんずん大きくなってゆくのは、見てても気持がよかった。移転する折には持ってゆくなどということは、とても出来そうにないくらい大きくなっていた。そして後には父も、持ってゆ
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