かった。母は眼に涙をためていた。父はいつまでも酒を飲んでいた。
「少し古いけれど、いつでも建て直せるんだからね、……それにもう長年住み馴れたのだから、元々から自分の家のようなものだ。だから俺は、あの通り公孫樹を大きくして根を張らせたのだ。」
 そんなことを父は感慨深そうに云って、やがては地所も買いたいなどと云っていた。
 然し父のそういう元気には……というより、父の頭には、火事の時以来ひびがはいっていたのかも知れなかった。三年後に、脳溢血でふいに死んでしまったのである。遺言を聞くひまもなく、医者も間に合わないくらいだった。入浴をしてから、二階の書斎で暫く何かしているうちに、ふいにぶっ倒れたきり、もう再び意識を回復しなかった。
 父の死後、僕は長男として家督を継いで、いろんなものを整理し初めた。そして、古い手文庫の抽出をかき廻してると、その底に意外なものを見出した。
 それは六つ折りの奉書紙で、折り畳んだ真中に公樹と二字認めてあり、表の上に、何年何月何日生としるしてあった。みな父の筆蹟だった。よく調べてみると、僕達兄弟のと同じ形式の七夜の命名式の紙で、その生年月日は僕より一年三ヶ月前だった。
 初め僕はただ意外な驚きだけを感じたが、やがて変な胸苦しさを覚えてきた。いろんなことが綜合されて、一つの空想にまとまってきたのである。
 僕はその奉書の紙を秘密にしまいこんで、いろいろ事実の調べにかかった。然しはっきりしたことは何も分らなかった。ただ断片的な事実を列挙すると、父は初め国から出て来て、祖母と二人で暮していた。それから、国許の従妹と結婚した。その結婚は僕が生れる一年半ばかり前のことだった。次に、その公樹という名前と、父が生前大事にしていた公孫樹、それ以外に何もなかった。然しそれだけのことから、僕の頭に一つの小説が自然と出来上っていった。馬鹿げた空想かも知れないが、僕の場合に立ったら、誰でもそうより外に考えようはないだろうと思う。
 父は祖母と二人で暮している時、或る女と関係した……というより、恋をしたと云った方がいい。相手の女は、恐らく一時手伝いの女か女中か或は看護婦か、何でも家に親しく出入りした女に違いない。そう云えば、祖母がまだ生きてた頃、家にしばしばやって来て、祖母と話しこんでいった女がある。皆からお千代さんと呼ばれていた。祖母が亡くなってからはぱったり来なくな
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