思っているかしら。
 柴田巳之助はそう考えて、自分の気力の衰えをちらと胸に浮べました。
 そしてそれを押し切るようにして、幹夫を枕頭に呼びました。
「あの椎の木だがね、あれはもう生き返るまい。」
「ええ、とてもだめでしょう。」と幹夫は平然と答えました。
「それでは、伐ろうじゃないか。」
「そうですね、私もそう思っていました。あれがずいぶん火を防いでくれましたから、家のためには役立ったとも言えましょうが、どうせ枯れてしまうとすれば、伐るより外はないでしょう。」
「伐ってしまったら、あすこが、淋しくなるだろうね。」
「そりゃあ穴があきますよ。その代り、風通しも、日の通りも、ずっとよくなります。あんなに伸び拡がってる大木ですから、取り払ったら、びっくりするほど大きな青空となるでしょう。そのあとに、なにか元気な若木を植えたらどうでしょうか。」
 巳之助は黙って眼をつぶりました。やがてまた眼を開いて、ぽつりと言いました。
「お前は、あの木に不満だったようだね。」
「不満じゃありませんよ、むしろ、大木として自慢でした。けれど、少し陰鬱でもありました。」
「陰鬱だって……。」
「蔭が多すぎたし、地面は湿気がちだったんです。木の方にしたって、あんな所では、窮屈だったでしょう。あれほどの大木は、広い野原か山にあるべきではないでしょうか。そんなことを考えると、ここに家を建てたのが、ほんとはよくなかったんですね、あのまわりを広い空地にしておけば、木のためにも、人間のためにも、よかったと思います。」
「うむ、それは面白い意見だ。」
 それきり、巳之助はなにか瞑想にでもはいりこんでいったようでした。幹夫は黙って控えていましたが、あまり沈黙が続くので、何気なく言いました。
「あの木を、お伐りになりますか。」
 暫く間をおいて、巳之助は独語のように呟きました。
「伐ることにしよう。」

 小春日和の暖い日でありました。天気も穏かで、柴田巳之助の容態も穏かでした。栗野老人が来たことを聞くと、柴田巳之助は自らちょっと逢いました。他人に逢う時にはいつもする通り、布団の上に坐り、脇息にもたれていました。
 栗野老人は、鳶職の頭、というより寧ろ仕事師の頭で、柴田家には先代の時から出入りしていました。巳之助から応対正しく迎えられて、如何にも恐縮した様子で畳表を敷きつめた縁側に身を屈め、病気見舞の言葉を述べ立
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