タリア作品を幾つか取上げてみるがよい。多くの作家はいわゆる「同伴者」にすぎないとしても、作品の基調はみな「党」的である。そしてその作品のなかには、組織工場や未組織工場、オルガナイザーの行動、レポーターの往復、ストライキの裏面、留置場、刑務所、労働者の家庭、そうしたものが如何に多く反覆されてることか。しかも、人物の性格は殆ど没却されて単に傀儡となり、事件と場面だけが反覆されてるのである。固より、社会運動者の忍苦と熱意、周囲に累積する迫害と身内に燃ゆる焔、現在の闇黒と未来の曙光、そういうものの持つヒロイックな魅力、被搾取階級の惨澹たる生活、それに対する同感と愛、それらは確に人を惹きつけるものを持っている。然しそれらが概念的に反覆される時、もう沢山だという嘆声が、読者に起らざるを得ないだろうし、やがて作者にも起らないであろうか。
 一定の公式的拘束の下にある時、作の主題というものがひどく残酷な問題となってくる。プロレタリア文学は、その自然の勢として、多くは自叙伝的な身辺的なものであった。随って作家は次第にその材料の欠乏を感じてくる。弁証法的唯物論による見方と目的意識に縛られた公式的形式の下に
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