と彼の頸項に咬みついた。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ](昇曙夢訳)
こういう章を読んでゆくと、雪の曠野を彷徨してる飢えた狼だけでなく、その中に直接現われてる一種の人間生活の相貌を、吾々は感ずる。しかもこの一篇の中には人間は殆ど立現われてこないのである。
作品において、素材は何でも構わない。作者が何を見、何を感じ、何を描いているか、そしてそれが作品のなかにどういう風に現われているか、それが肝要な問題である。
或る素材について、作者が何を見、何を感じ、何を描いているかということは、結局その素材に対して作者がどういう態度をとっているか、ということに帰着する。そしてこの素材というのは、小説の材料として取上げられた人生の種々の事実――人物や事件や風習や思想――に外ならないからして、これを一言に、人生の現実といっても差支えない。そこで、人生の現実に対して作者がどういう態度をとっているかが、最も肝要な問題となる。
現実に対する作者の態度の如何によって、種々の作品が生れる。或る時代には、現実に対する多くの作者の態度がほぼ一定していて、同じ種類の作品が多く現われる。何某主義時代という文学上の時代は、そういう時期である。また或る時期には、現実に対する作者の態度が四分五裂して、各人各様の態度をとり、随って作品の種類も雑多になる。謂わば無秩序無統制の時期であって、各種の主義主張が乱立する。現代はその最もよい例である。殊に、現実に対する関心が新らしく、現実探究の各種の途がまだ十分窮めつくされていず、しかも次々に新らしい見解が輸入されている吾国の現代は、その最もよい例である。
試みに吾国現代の文芸界を見渡して、視野を小説の範囲に限っても、雑多な主義主張が交錯して、渾沌たる状態を呈している。その主義主張のうちには、日々に更改されるものもあり、僅かに余命を保ってるものもあり、忽ちにして死滅するものもあり、僅かに芽を出したに過ぎないものもある。しかもまだこれから、種々のものが現われ出そうな気配である。個々の作家について見ても、鮮明な旗幟をかかげている者もあり、思念の赴くままに自由な態度をとってる者もあり、次第に態度を転向している者もある。文壇というものが解体されたという語は、こういう渾沌状態を巧にいい現わしている。文壇が解体されて、新らしい息吹で各種の部分が別々に生存して
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