。
其処を、父のために母と二人で歩いていたということが、私の心を惹くのである。父も母も既に世に存しない時になって、父母のことを偲べば、心の底に澱んでくるものは結局、父のために、そして、母と一緒に、とそれだけに要約される。如何なる人も、何等かの意味で、夜明け前の薄暗い堤防の上を、父のために歩いたことがあるだろう、更に一層、母と二人きりで歩いたことがあるだろう。この感懐、単なる感傷ではない。兄弟姉妹のない一人児の私にとっては、殊にそうである。
二
私の生家は筑後川流域の農村にあり、親戚は多く福岡市内に散在している。私は親戚の家に寄寓して、市内の中学に通い、休暇の間だけ生家に帰った。
田舎では、人は殆んど散歩ということを知らない。日常生活が既に自然の中に営まれていて、戸外の大気に接する必要もないし、外に出ても、珍しい物はないのである。ところが、都会からの客があると、田舎の人は俄に自然に対して眼を覚すかのように、飲食や談話などより先ず、野に連れ出し、農作物を見せ、川の土手を歩かせ、夕陽を眺めさせる。都会からの来客を機縁に、自然の中の宝玉が輝き出すのである。
都会の中学生たる私は、生家に帰ると、もう半ば都会人になっていた。しきりに散歩をした。自然の中のどんなささやかな事物にも、幼時の思い出を伴うので猶更、心惹かるるのだった。時折、都会からの来客があって大勢で外を歩くのが、私には嬉しかった。
それらの客のうちに、私の好きな叔母さんがあった。美しい人で、言葉つきから挙措物腰まで静かで、笑顔までしとやかだった。何だか清く脆いという感じの人だった。――そういう印象を受けた中学生の私は、その人が大好きだった。
その叔母さんと、小学生の娘と、私の母と、四人で、晴朗な午後、自然の中を歩くのである。先ず八幡様と地蔵様とにお詣りをし、それから広い河原に行く。清い流れには小鮎や鮠がはねている。河原には、丸い小石のところもあれば、きらきらした砂のところもある。
叔母さんと母とは、即ち大人たちは、相並んで歩きながら、何の話もせず、黙ったままでいる。大人というものは、どうしてこう、黙って歩くのだろうと、それが私には不思議なのである。千代子――叔母さんの娘――に目くばせをすると、千代子も同感の目くばせを返す。少しおきゃんな気のかった、そして細そり痩せている娘なのだ。
「駆け
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