をとろう。」
 みよ子は笑いながら屏風の中にはいって来ました。天井につきぬけてる十二角の塔の中は、全く別天地でした。私とみよ子とは、その中で取組み合って笑いこけました。
「まあ、誰ですか。」
 声と一緒に足音がしました。
「屏風の中で何をしているんです。」
 私たちは息をつめました。ふと、身体中真赤になりました。どうにも仕様がなくて、私は逃げ出しました。みよ子も後から逃げてきましたが、私は知らん顔をして、籔の中にかけこみました。
 その時私たちを叱ったのは、誰だったか覚えがありません。けれどそれは確かに祖母ではありませんでした。祖母なら叱りはしなかったろうと思います。
 其後みよ子はやはり時々遊びに来ましたが、私たちの間には一脈の距てが出来ていました。そして彼女は小学校にあがるようになると、だんだん来なくなって、私はまた一人ぽっちになりました。
 みよ子から遠のくにつれて、私の心は益々祖母に接近していきました。私をじっと眺めてる祖母の頭の美しい髪の毛が、かすかに神経質におののくのを、私ははっきり覚えています。
 冬になって雪が積ると、私は竹馬を拵えてもらって、高い塀の上の綺麗な雪をとりに行くのが楽しみでした。下げてきた鋼《あか》のやかんに一杯雪をつめて戻ってくると、祖母はそれをゆるい火の上にかけて、雪解の水をわかし、それで玉露をいれるのでした。それは祖母にとって、何かしら一種の贅沢なたしなみみたいなもののようでした。
 夕食後、家の人たちが茶の間でいろいろな用談を初めます時など、私は祖母についてその居間に退き、炬燵にあたりながらうつらうつらするのでした。祖母は昔噺をやめて、じっと外の物音に耳をすますようなことがありました。そういう時に限って、屡々、裏の大楠の高い茂みのなかに、異様な鳴声がしたり、激しい物音がしたりしました。
 私がぞっとして、眼付で尋ねますと、祖母は柔かなたるんだ頬にやさしい笑みを浮べて云いました。
「恐《こわ》がることはありません。狐ですよ。お稲荷様が祭ってあるでしょう。」
      *
 この物語に、祖父や父母や其他の面影が立現われぬからといって、咎めないで下さい。それらの人々のなまなましい面影が浮ばなかったことは、筆者にとってせめてもの慰めです。これは古里の幻の園で、いにしえの心の港です。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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