ものね。」
俊子はそう云って、初めて我に返ったらしく立ち上った。
三
気味が悪いと云いながらも、姉は地引網を引張ってやるのが好きだった。
朝早くから十時頃まで、波がさほど高くない時、海岸の方々でそれが行われていた。
「立って見てねえで、手伝ってくれたらよかんべえ。」
そういう囁きが耳にはいってから、姉はいつも着物の裾をからげて、逞しい男女の間に交って、地引網の綱につかまった。一生懸命に引張ってはいるのだが、つかまってるのと大差なさそうだった。彼も時々綱を引いてみた。沖に引かれる力の強さを手に感じて、ともすると足がよろけそうだった。ただ俊子は、少しも手出しをしなかった。
鯵や梭魚《かます》の類が、少い時は桶四五杯多い時には三四十杯も取れた。特殊な魚だけを別により分けて、残ったのを桶一杯ずつ砂の上に積み上げた。買手が大勢来て待っていた。
「手伝った東京|者《もん》に、これをくれてやるべえ。」
幅利きらしい男が大きな太刀魚をぽんと投ってくれた。
「有難うよ。また手伝うべえ。」
姉はおかしな調子で云い捨てて、まだぴんぴんしてる太刀魚を、尾《しっぽ》でぶら下げながら飛んでいった。
「豪勢威勢のええ女《あま》っちょだなあ。」
地引が上ると漁夫達は皆機嫌がよかった。姉も機嫌がよかった。
「どう?」彼女は俊子の前に手の魚を振ってみせた。「私が海にはいってつかまえたのと同じことよ。」
「そうね。」
苦笑とも揶揄ともつかない俊子の言葉に、姉は一寸意気込んでみせた。
「私は海で鍛えた真黒な人達の間に交って、その生活を味うのが好きよ。あなたはもっと元気にならなくては、折角海に来た甲斐がないわよ。松原を歩いたり海岸をぶらついたりするきりでは、つまらないじゃないの。」
「私には、馴れないせいか、自然の方が面白いような気がするわ。」
「どうして。」
「どうしてって、云ってみれば、海には海の大きな霊といったようなものが感じられるから。」
「また例のロマンチックが初ったのね。」
「そうじゃないわよ。私此処に来てはじめて、海には海の霊があることを、どうしても否定出来ない気がしてきたのよ。……静夫さんはどう思って?」
彼は何と答えてよいか分らなかった。が兎に角、彼女の言葉をじっと聞いてると妙に不安になった。
「そんなことを云ってた漁夫があります。」
「そんなら、」と俊子
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