砂丘の上に、蟻のような人影が見えていた。
「知らないわ。……こんなに早くから人を起しといて!」
つんと澄してすたすた足を早める後から、俊子は落付いた声で注意した。
「でも、他《ほか》で見られないような変な朝ね。」
東の空の大きな黒雲の影に包まれて、盲《めしい》たようなだだ白い明るみが遠くまで一様に澄み切っていた。
真先に歩いていた彼は、俄に足を止めた。松林のつきる処に四五本の雑木があって、その下枝のあたりに、白いものが真円く浮出してゆらりと動いた……と思ったのは瞬間で、よく見るとだらりと垂れ下っていた。
ぞーっと身体が悚んだ。が、引き止めた息が保ちきれなくなった間際に、ほっとした。木の枝に提灯がかかってるのだった。
「どうしたの。」
黙って歩き出すと、此度は喫驚した調子の声で、
「蛇でも居たの。」
彼はやはり黙って頭を振った。何だか白茶けた気持ちになった。ぼんやり眼を挙げて眺めると、提灯は白張りの無紋だった[#「無紋だった」は底本では「無絞だった」]。それが一寸変だった。
「あら、静夫さんは蛇がお嫌い?」
わざと不思議がったようなしなをした声だった。
「ええ、可笑しいほど嫌いなのよ。」と真中に居る姉が答えた。
「そう。私はどちらかというと好きな方よ。」
「蛇が!」
「ええ。もとは嫌いだったけれど、だんだん好きになるような気がするわ。一番いやなのは蚯蚓、ぬらぬらしてるから。」
蚯蚓がいやで釣が出来ない自分のことを思い出して、彼はふと振り返ってみた。
俊子はもう眼を地面に落して、其処に匐ってる蚯蚓の上を飛び越していた。その顔が、気のせいか、提灯と同じような白さに見えた。
六
晴れた日には、地引網を見たり、水にはいったり、散歩をしたり、松林の中に迷い込んだり、畑の薩摩芋を盗みに行ったり、遊ぶことはいくらもあったが、雨の日は退屈で仕方がなかった。雨と云えば大抵風雨だった。
南寄りの東に海を受けてる土地だったが、海鳴の音は多く南か北かに聞き做された。南で鳴れば不漁、北で鳴れば大漁、としてあるその海鳴が、風雨の晩は南にも北にも聞えた。その響きに包まれて、雨と風との音がざあーと雨戸にぶつかってきた。
「あれ、今時分どうしたんでしょう?」
耳を澄すと、なるほど地引網の時と同じ様な喇叭の音が、遠くかすかに伝わってきた。
「船上げですよ。」
「船上
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