の特殊な修練と緊張とがない限り、人は形態に対しては案外無頓着なように思われる。これについては、夢を顧みれば分る。頭の中に最もはっきりしてるのは、種々の感情や感覚であって、最もぼやけてるのは物の形態である。形態の明瞭な夢の絵というものがもしあるとすれば、それは恐らく夢の註釈の絵であって、夢そのものの絵ではないだろう。文字に書かれた夢が多くは夢の註釈或は説明であるのと、同様である。
 こういうところに第一の困難がある。更に第二の困難は、文字――言葉――を以て形態を云い現わすことにある。眼の底にはっきり映り頭にはっきり刻みこまれてる愛人の顔付を、言葉で云い現わそうと試みたらよかろう。この困難な仕事を、低俗な写真やスケッチ以上によく成しとげ得る者が、幾人あるだろうか。
 更に第三の困難は、形態を通じて形態以上のところへつきぬけることになる。ボルコンスキー公爵夫人の上唇やそのむく毛の域にまで出てゆくことにある。――この最後の芸術的秘奥に於ては、文学者も美術家も同じであろう。それはロダンのバルザック像のようなものである。
 この第三の至高な問題は別としよう。第一の通俗な問題も措くとしよう。私に興味があるのは、第二の困難の問題である。即ち言葉で以て形態を表現するの困難さである。然しながら、吾々文学者は、言葉を以て形態を表現するの困難さだとそう云うが、美術家――殊に画家はどう云うだろうか。通俗に吾々は、線や点を基準として形態を考えているが、即ち幾何学的図形を考えているが、画家にとっては恐らく、線や点は面を表現するの手段にすぎないだろうし、色彩は面の上の現象にすぎないだろうから、そういう面を以て形体を表現するの困難さが、案外大きいものではないかとも想像される。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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