点に在る。この赤裸々の出立を経て、初めて吾々は自分のうちに背っているものをはっきり見得るのだ。いいものと悪いものとが見えて来る筈だ。過去の伝統と未来の途とが、正当に価値づけらるる筈だ。
 吾々はも一度太古の赤裸々に返らなければならない。そのために吾々は今最もいい時期に際会している。そして次に自らの意志で知識の木実を食うことだ。「汝等神の如くなりて善意を知るに至らん。」これはキリスト教徒にとりては罪であった。然し吾々にとっては罪ではない。仏教は諸行無常を説き仏への帰依を説いているが、大乗に於て真如を説き涅槃を説いているのだ。
 然しかく云うのは恐ろしい。絶対の前に吾人の魂は震え戦くからだ。祈る時に吾人の魂は安易を得るが、祈らるる時に罪の恐れを感ずるからだ。
 然しながら人類の道は広く遠い。高処には日が輝いている。真の恐れを知れる者は真に恵まれたる勇者である。恵まれたる者は、選まれたる勇者は、真直に歩いてゆかなければならない。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2005年12月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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