が変な眼付でじろじろ見るので、彼は一寸心を曇らした。
「今日は一日愉快に暮すんだ、御馳走でも食べよう。」と彼は考えた。
 友人を誘い出すのも億劫だったので、其処に在る一軒の洋食屋に飛び込んだ。二階には誰も他に客がなかった。
 彼は窓際の椅子にゆったりと腰をかけて、街路の騒音に耳を傾けた。電車の響きがした。人の足音がした。それらを水の中ででも聞くような心地がした。室の中は静まり返って、白い天井と白い壁とで余りに明るかった。長くまたされた後に、皿が漸く運ばれてきた。腹がいい加減にふくらんでくると、ふと思い出して、中途から麦酒を一本取った。
 食事がすむと、妙にぼんやりしてしまった。「暫く此処に居てもいいだろう、」と彼は云った。「はあどうぞ、」と給仕は慌てたように答えながら、片方の眉尻を下げ口を少し歪めて、変な顔をした。彼は可笑しくなった。笑を押えて眼を円くしながら、彼はも一脚の椅子の上に足を投げ出した。見ると、向うの卓子の上の大きな硝子鉢に、金魚が四五匹はいっていた。馬鹿に大きな鰭と尾とを動かして悠長に泳いでいた。彼は立ち上って覗きに行った。上から覗き込むと、小さな嫌な金魚だった。横から硝子越しに見ると、大きな立派なものになった。彼は感心した、自分も金魚を飼って見たくなった。急いで給仕を呼んで勘定を済した。
 表に出て、金魚屋がありそうな方向へ歩いていると、その先の停留場で、先輩の木川に出逢った。彼はいきなり声をかけた。
「やあ、この頃いかがです。」
「え?」と木川は澄した顔で見返した。
「君この辺に金魚屋は知りませんか。」
「知りませんね。」
「何処かにあるでしょうね。」
 その時電車が来た。「失敬、」と云い捨てて木川はそれに乗った。
 彼はぼんやりその後姿を見送った。その時、自分が口に楊枝をくわえているのに気付いた。楊枝を口にくわえてぞんざいな口調で先輩に金魚屋を尋ねてる自分の姿が、頭に浮んだ。「木川は怒ってるかな、」と彼は考えた。取り返しのつかないことをしたような気がした。妙に薄ら寒くなった。
 彼は下宿の方へ帰りかけた。「今日はいい日だ、」という朝からの気分が頭の隅にこびりついていた。「こんな気分を無駄にしてはつまらない、」と彼は考え直した。そして兎に角金魚を買って戻ることにきめた。
 心当りの方面を歩き廻っていると、金魚屋が見付かった。狭い木戸を押して中にはい
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