いますがまさしく、キシさんです。毎日一緒に暮らしてる、あの李伯将軍《りはくしょうぐん》のキシさんです。
キシさんは、つかつかと歩み寄ってきました。
「あすまで、その道具あずかる」
そして小さな声で、太郎にささやきました。
「秘密《ひみつ》、秘密……。あとで話す」
それから、また大きな声で言いました。
「明日、ここで、すばらしい手品《てじな》なさい。それまで、この道具、私あずかる。かわりに、私お金あずける」
そしてもうキシさんは、片手に銀貨をいっぱい握って、それを差し出していました。
太郎は困りました。まさか手品の道具をあずかろうという人があろうとは思いませんでしたし、しかもキシさんが出てこようとは思いもかけなかったのです。けれども、キシさんなら、自分が持ってるのと同じことだし、「秘密、秘密」と言われたのは、何かわけがあるに違いありません。それで太郎は、わざと知らん顔をしていました。
「それでは、道具のかわりに、そのお金をあずかっておきます 明日[#「おきます 明日」はママ]、ここに来てください。そしたら、すばらしい手品をして見せましょう」
キシさんはお金を渡すと、金輪《かなわ》や皿《さら》やナイフや大きな毬《まり》など、手品の道具を、地面に敷いてあったむしろに包んで、それをかかえて、さっさと立ち去ってしまいました。
おおぜいの見物人も、しだいに立ち去ってしまいました。
広場のまん中で、太郎と手品使いの少年とは、ぼんやり顔を見あわせました。少年は、ただあっけにとられてるようでした。
太郎は言いました。
「きみの道具を持っていったあの人は、ぼくが一緒にいる人だよ。今はあんな汚いないなりを[#「汚いないなりを」はママ]していたが、偉い人なんだ。心配しないでもいいよ」
「でも、あすはどうしよう」
「ああ、手品《てじな》か、困ったなあ。ぼくがでたらめ言っちゃったもんだから……だけど、あの人に何か考えがあるんだろう。あとできいてこよう」
そしてふたりは歩きだしました。
少年はふいに立ちどまりました。
「きみとは、こちらにくる船の中で、知り合ったばかりだが、名前は何というんだい」
「上野太郎《うえのたろう》というんだよ。きみは……」
「ぼくは下野一郎《したのいちろう》だよ」
ふたりは笑いました。上野太郎……下野一郎……口に中でくりかえすと、おかしくなって、
前へ
次へ
全37ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング