、きっぱりお知らせしよう。正式に作法通りに、御通知の挨拶だけしよう。どんな顔をなさるか。それに、あのひとのお住居も拝見してやろう。
わたしはひとり心の中で決心した。
思いきり派手なドレスを着、髪を風になびかしてわたしは出かけて行った。
小野田さんの居所は、近藤別邸となっていたが、それはすぐに分った。堂々たる洋風の構えで、白樺や落葉松の植込みがあり、自動車置場らしいものまであった。窓はすべて閉め切って、カーテンが下してあり、低い土手囲いの中央にある入口には、頑丈な木格子の門扉が閉鎖されていた。様子がおかしいので、横手へ回ってゆくと、野薔薇のからみついた門柱が二本立っていて、奥まで見通しで、別棟の平家があった。わたしはちょっと躊躇した後、はいっていった。馬の蹄の跡で道はでこぼこだ。
いやにしいんとしているその平家の、向う側は、水音がしていた。わたしは案内を乞うのをやめて、水音のする方へ行ってみた。
見ると、上半身裸体の男が、大きな馬盥の水で馬を洗っていた。小野田さんがいつも乗ってる栗毛の馬だ。わたしは黙ったまま佇んだ。男は馬の向う側に回った。顔を見合せると、それが小野田さんだった。
「ほう、秋子さんか。どうしたんです。」
わたしは恥しくなった。相手は半裸体なのだ。ただ微笑した。
「これは思いがけなかった。よく来ましたね。」
「ちょっと、通りかかったものですから……。」出たらめを言った。
「覗いてみたんですか。この通り、馬丁修業です。待って下さい、すぐ済むから。」
小野田さんは半裸体を少しも気にしていないらしいので、わたしも気にならなくなって、近くへ行った。それでも、白い胸の真中に黒い長い毛が粗らに生えてるのが、眼について、わたしは馬の方ばかり見た。
盥の水を馬の背や腹や足にかけて、大きなブラシでこするのである。栗色の毛並がつやつやと輝やくようで、見違えるように美しくなってゆく。馬は木に繋がれたまま、上唇をあげ鼻に皺よせ、ふふふと笑った。
「こいつ、あなたを覚えていて、笑ってますよ。なんしろ、駆けてる馬の鼻っ先に飛び出してくる、勇敢なお嬢さんだからな。」
どうも、いけない、とわたしは思った。気を許しては負けだ。大きく息をして言った。
「ただ、通りがかりにお寄りしただけですから、ゆっくりお洗い下さい。お家にはあがっておられませんの、あなたとおんなじに。」
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