答はとぎれた。古賀さんは嘉代さんの方へ乗り出して声を低めて言った。声を低めても、相当に酔ってるから、おれにまで聞える。
「はっきりしていますね。はっきりしているけど、偏執ですね。それだけだから、なおりますよ。」
 おれは赤木をつっついて、コップで酒をあおってやった。何もかも、そうだ何もかも、忌々しいのだ。
 古賀さんは、天ぷらの一切れを口に入れた。鯖の切身をちょっとごまかして、下等なピーナツオイルで揚げたものだ。なにしろ素人料理なのだ。それから古賀さんは酒を飲んだ。短髪の大きな顔をにこにこさしている。
「千代ちゃん、叔母さんと叔父さんと、どっちが好きかね。」
 叔母さん叔父さんは、赤木夫婦のことだ。――千代は、すました顔で、返事をしない。
「それでは、叔母さんと仲本さんと、どっちが好きかね。」
 千代はすました顔で、返事をしない。
「あんまりいじめちゃ、可哀そうだ。」
 おれは思わず言ってしまった。
 古賀さんは、きっとおれの方を見たが、すぐに笑った。
「そうだ。判断力がないからね。然し、このぶんならなおるよ。病院でゆっくり治療さしてやりましょう。」
 誰も黙っていた。時たって頓狂に、赤木が言った。
「そうして頂きましょうか。ねえ仲本、それがいいね。」
「いいかも知れませんね。」とおれは機械的に答えた。
 それよりも、おれは、先程からの嘉代さんの様子に気を惹かれていた。――嘉代さんはじっと伏目がちに、横額をぴりぴりさしていた。実際に動いてるわけではないが、その緊張が見えるようなんだ。肥満してるというわけではないが、こういう商売をしている四十女の重量がこもってる横額のぴりぴりは、無視出来ないものを持っている。
 古賀さんは、千代の手首を握った。口がゆがみ、眼尻が垂れ、肌がいやにだだ白い、白痴の彼女の手首を、握手するように握りしめてるのだ。
「千代ちゃん、明日から病院に行こう。そしてほんとうに頭がはっきりしてから、戻ってくるんだ。叔母さんや叔父さんや、みんなで迎えに行くよ。」
 彼は千代の手を引っ張って、その醜悪な娘を、膝に抱こうとしたらしかった。が手を離して、後ろに転げた。――おれにもよく分らないが、千代が、手首を取られてるその指先で、彼の皮膚を思いきり抓ったものらしい。
 そんなことがあっても、ふしぎに、千代はいつもの通りの表情、今にもにやりと笑いそうな顔付で、そしてそれが一座の中にきょとんとした感じで、戸棚の上のめくり暦の方へ眼をやっている。
 おれは席を立った。根本的にばかげた感じだ。店の方へ行って、構うことはない、一升壜から冷酒をコップについで、それをあおりながら、がしゃがしゃ洗い物をした。それが済んでもまだ、みんなが食卓のまわりにぐずってるので、裏木戸から外に出た。
 ぱっとした煌々たる月夜だ。少し歩いていって、柔かい畑地よりも、堅い往来のまん中に、しゃーと小便をしてやった。ずいぶんたまっていたのを、すっかり空にして、いい気持にして、月明の中を歩いた。春たけなわといっても、夜気はひいやりとしている。
 家に戻ると、もうみんな寝たらしい。赤木夫婦は二階の室に、千代はその横の小部屋に、そしておれは階下の室に、寝場所はきまっている。電燈だけが明るい、が、外の月夜よりは薄暗い感じだ。おれはも一杯酒を飲み、同じコップで二杯水を飲んで、布団にもぐりこんだ。

 その翌日が大変だ。おれは寝坊してるところを、赤木にたたき起され、飯をたいてくれと言うのだ。いったい、朝も晩も、米飯は嘉代さんが自分でたくにきまっている。おれは腑におちなくて、赤木の皮膚の厚い感じの顔を眺めた。
「少しおかんむりなんだ。病院へは僕がついて行くことになってるのに、嘉代は、自分で行くと言いだして、僕には来ちゃあいけないというんだ。まあ……気のすむようにさしとくさ。とにかく、飯はたいてくれよ。」
 だいたい、へんな夫婦なんだ。赤木は世間的な策士で、すべてに如才がない。嘉代さんはちょっと気取りやで、向う意気が強いくせに、その大きなお臀のような善良さを底に持っている。表面は女房が亭主を尻に敷いてるようで、陰では亭主が女房を操っているのだ。
 だが、どうも、赤木は今、嘉代さんを操りかねているらしい。なにかそわそわしていた。嘉代さんの方でも、赤木を尻に敷きかねているらしい。――これもなにかそわそわしていた。おれだって、御多分にもれない。宿酔の気味もあったが、釜の下の火がよく燃えなかった。
「千代ちゃん、千代ちゃーん、どこにいるの。」
 嘉代さんの大きな叫び声が響き渡った。
 飯さえできればあとはどうでもよいと思って、家の中の落着かない雰囲気をよいことに、おれはちょっと迎い酒をやっていた。
「千代ちゃんは知りませんか。」と嘉代さんはのしかかるように尋ねる。
 おれは今朝から、
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