婦だけでは手不足のところへ、おれがうまくやって来たというものだ。
 戦地の話を、おれはまた繰り返さねばならなかった。――南方の小さな島で、長い間食糧の補給がとだえ、兵隊たちは飢餓のために発狂する者まで出て来た。空腹どころではなく、全く飢餓だった。どうやら食用になる野草の球根や蔓茎を植えるのに、足だけで体を支えることができず、四つん這いにならねばならなかった。――その真似をして、おれは少し酒もまわっていたので、畳の上を這ってみせた。
 そばで見ていた千代が、声を立ててげらげら笑った。おれは睥みつけてやった。
「笑いごとじゃないよ。」
 千代はなかなか笑いやまなかった。
 おれにとっての深刻な経験も、まるで茶番になってしまった。おれは話をやめて、やけ酒を飲んでやった。
 それだけなら、まだよかったが……。翌日、千代は裏の畑の草取りをした。季節向きのいろんな野菜が作ってあり、店の料理の材料ともなるのである。耕作は赤木が受け持ち、草取りはおもに千代がさせられる。ところがその日、千代は畑の畦の間に、膝頭と肱とで四つん這いになって、着物を泥だらけにしている。前の晩におれが話した通りの姿勢だ。それを見つけて、おれは進んで行った。拳をにぎりしめ、だまって見つめた。千代はちょっと振向いて、にやりと笑った。その臀を、おれは思いきり引っ叩いてやった。
 千代はころりと横に倒れた。おれはただ見ていた。やがて彼女は起き上り、跣のまま、家の方へ戻っていき、急にしくしく泣き出して、裏口へはいって行った。
 おれは外から様子を窺った。――千代はしゃくりあげて泣いている。嘉代さんが着物の泥を払ってやりながら、すかすように尋ねている。どうしたのか。転んだのか。誰かに悪戯でもされたのか。どうしたのか。いくら尋ねても、千代は返事をしないで、ただ泣いている。
 おれはそこへはいって行った。千代はおれを見向きもしないが、嘉代さんが訴えるように言う。
「ほんとに、この子は、まるで赤ん坊ですよ。頭が少し悪いものですから、せめて、みなりだけなりと……そう思って、わたしがいくら気をつけてやっても、すぐにこうなんですよ。それでも、泣くことなんかないのに。……大きいなりして、いつまで泣いてるんですか。さあ、もういいから、足を洗っていらっしゃい。」
 おれは何にも言うことがなかった。店の方へ行って、煙草をふかした。忌々しか
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