濶にもあなたの名前を口走り、彼の頬を殴りつけました。あなたの名前を口に出したのは、全く迂濶でしたが、然し私は冷静でありました。あなたに代っての復讐という気もあったのです。
彼は私に抵抗し、組打となりました。一瞬、私には殺意が萌しました。これは重大なことです。然し幸にも、彼は崖から転落して、その下の泥沼にはまり込みました。もし彼が酒に酔っていなかったら、彼は大兵肥満で強力ですから、私の方が締め殺されるか、泥沼に投込まれるかしたことでしょう。
Hは私を知っております。校舎増築のことでです。Hとしては、私をこのまま放任してはおきますまい。必ずや陰険な仕返しをするに違いありません。そうなると、自然、あなたの御名前も出ることになるかも知れません。私はあなたに累を及ぼすことを何よりも恐れます。
私は一方ならぬ恩義を御宅から受けています。然るに、何を以て私はあなたに御報いしたでしょうか。私は自殺をも考えました。然し、それは却って悪結果になるかも知れません。
私はいつも非常な恐怖と悲哀と歓喜とに嘖まれました。自分の道ならぬ恋愛を怖れました。地位や身分や境遇から考えても、いずれは御別れしなければ
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