して下さいませ。私は今すぐ、それがききとうございます。御返事がくるまで何日待っていなければならないのでございましょうか。私はもう一日も待てませぬ。一分間も一秒間も待てませぬ。お願いでございます。はっきりこうだというお言葉下さいませ。すぐに下さいませ。
――――
御嬢様御病気のこと、たまらなく胸が痛みます。
どのように御心痛の御事でございましょう。私の命にかえてと、泣きながら御仏に念じております。どうか御気を張り、病気などにお負け遊ばさないで下さいませ。私は昔、肋膜に沢山水がたまり、熱が四十度、息が出来なくなり、ほんとうに恐ろしゅうございました時、真暗闇の死の底に落ち込むのがこわくてたまらず、も一度起きてあの太陽の光の中を歩きたいと、夢の中であがき念じましたため、死からのがれることが出来ました。
御嬢様の御病状なんにもわかりませず、ただ気ばかりもんで切のうございます。
私は御嬢様の御病気御平癒を一生懸命御仏に念じております。私は今すぐ死んでもかまいませぬもの。そのかわり、御嬢様の御病気を一日も早くお癒し下さいますよう、御仏に念じております。
御大切な御嬢様、先生の御心をお思いしてたまらなく胸が痛みます。悲しくて切のうございます。
吉岡信一郎の娘が病死した時、葉山紀美子から、文脈乱れがちな短い哀悼の手紙と香奠とが来た。そしてそれからぷっつり、彼女の手紙はとだえてしまった。吉岡から二度ばかり出した手紙にも返事がなかった。紀美子もどこかへ消え失せてしまったような感銘を、吉岡は受けた。
それもよかろう、と吉岡は思った。彼女に対する感情は、恋愛というほど生々しいものではなかったけれど、或る意味ではもっと深い愛情だったようでもある。実体の捉えにくいなんだか抽象的なものだっただけに、却って、何の濁りもなく、すっきりと心中に残った。或はそれが、彼女の心の投影だったかも知れない。彼女はただ一徹で純粋で、肉体的な濁りを持たなかった。彼女自身、彼にとっては、謂わばその手紙が全部だった。その手紙の幾つかが示すように、彼女は過去の時代の名残りのような存在であって、そのためにすっぽりと手紙の中にはいり込み得たのでもあろうか。
その彼女は、彼にとっては、一種の透明な純な愛情だった。時によっては彼の心を苛立たせることもあったが、今は、多少色褪せた静かな忘れ得られぬ花である。
底本:「豊島与志雄著作集 第五巻(小説5[#「5」はローマ数字、1−13−25]・戯曲)」未来社
1966(昭和41)年11月15日第1刷発行
初出:「新小説」
1949(昭和24)年4月
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年9月20日作成
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