知れない。芸術的技巧が拙いためではない。否却って、技巧がすぐれてるためである。この技巧は、それが巧妙になればなるほど、作品の主題を益々人間生活から遊離させる結果になる、そういう種類のものである。そこに、作者の芸術的意図と生活意欲との乖離がある。
新しい見解や思想など、凡て新しい視角には、それに相応する新しい表現方法が必然に要求される。然しこの場合、作者の芸術的意図が権威を振って、生活意欲がその下に窒息させられ、或は歪曲させられる時には、作品はその生命の幹線を断たれて、一種の玩弄物となるの危険がある。
勿論私は、「文学は階級闘争のための武器以外の何物でもない」という命題の、階級闘争という言葉を他の如何なる言葉で置換しても、それに全然賛成するものではない。然しながら、何等かの意味で常に「異邦人」たる純文学の作者は、「祖国」を求むる意欲を不断に持ち続けると共に、それが芸術制作のプロセスのために歪曲されないだけの用心を失ってはならない。「祖国」を求むることは、「祖国」を得る途である。「祖国」を得ることによって、文学は最も多く存在の理由を見出す。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月24日作成
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