りきりという有様さ。而も、そんなにしても手にはいるものといっては、肥料の足りない痩せた菜っ葉だとか、腐りかけた鰯の干物だとか、冷凍の鯨だとか、まるで話にならん。一方では、砂糖は既に払底、塩も極度に不足、味噌醤油はとぎれがちという有様。これで無事に生きてるのが不思議なくらいだ。
「一体、東京の人口は半分になったといっても、まだまだ多すぎるよ。用のない人間がうようよしているし、焼け残りの家の中にうじゃうじゃつまっている。呆れたもんだね。然し、呆れてばかりいては、生存に必要なカロリーも取れやしない。俺の愛する娘も、だいぶ栄養失調の恐れが濃厚になってきた。
「外の者はどうでもよいから、せめて娘にだけは腹一杯食べさせたいと、俺はいつも思っているんだ。そして、何かとごまかしては、なるべく旨いものを食べさせようとたくらむんだが、娘はただばか善良で、これは叔父さまに、これは叔母さまに、これは何々ちゃんにと、少しでも美味なものはみな外の人に廻して、自分の口には入れない。
「そこで俺は、計略を用いたよ。或る時、これはまた実に珍らしく、実に特別に、砂糖の粉がふいてる甘いヨウカン二本手に入れた時のことだが、玄関につっ立ったまま、娘を呼びだして、近くの神社に連れて行った。そこの境内の池の中に、海亀が泳いでいたというわけさ。行ってみると、どこかへ隠れている。俺と娘は池のふちの腰掛に坐って、海亀の出てくるのを待った。待ちくたびれてきた頃、俺はヨウカンを出して娘にたべさせた。叔父夫婦や子供たちへのヨウカンは、別に風呂敷包みの中にいっぱいはいっているのだ。娘は一本のヨウカンを半分たべ、俺もお蔭で半分たべた。あとの一本は、食べなければ海亀にやるぞとおどかして、娘にたべさせた。
「それで万事終った。海亀なんぞもともといやしない。風呂敷包みの中は、開けてみれば書物だけだ。それを知って、善良な娘は眼に一杯涙をため、堪えられなくなって、一滴か二滴ぽとりと落した。
「だが、その後で、俺は淋しくなった。たとえ親子の間でも、こんな人情はけちくさくていかん。そんなものは克服しなければいけない。青空を仰いで大きな息をしたいものだと、眉をひそめて考えたよ。――この話、お前はどう思うか。」
私は返事もせず、彼の方を振り向きもしなかった。彼の話には、初めから皮肉な調子がこもっていて、それが次第に強くなり、話そのものまで眉を
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