った。戦い取られたものではなく、外から与えられたものであったからであろうか。
 自由のこの静けさの故に、それを享受する吾々の心の中に、ほっとした休息の瞬間、思惟をやめておのずから眼を伏せる瞬間、なにか喪に似た寂寥が浮びあがってくるのである。
 何に対する喪か。見渡したところ、その対象は見当らない。軍部や官僚や財閥の崩壊は、ただ徹底的ならんことが望まれるばかりである。軍国主義や封建主義の払拭は、一抹の残滓をも残さざらんことが望まれるばかりである。其他、何処にも何物にも未練は持たれない。勝利を失ったことについても、聖戦ではなくて侵略戦だったことが明かな今日では、もはや遺憾とは考えられない。戦場や被空襲地で斃れた多くの同胞については、限りない哀悼の感を覚えるが、この回顧的な悲しみは異質なものである。それでは、この喪に似た寂寥は何か。
 全然新たな時代なのである。たとえ夢想され翹望されたことはあっても、実現は遠い将来と思われていた、その自由の世界へ、即刻只今から、新たに発足するのである。ここで吾々は、旧きもの一切を脱ぎ捨てて、新らしき一切のもののなかにはいり込んで行くのである。譬えて言おうならば、呼吸する大気も新らしく、足に踏む大地も新らしく、口にする食物も新らしく、身にまとう衣服も新らしく、机、ペン、鉛筆、酒、煙草、すべて新らしいとしてみよう。その時、獅子も新たな森にはいる時ちょっと立ち止るように、吾々も一足止めて、深く息をするであろう。
 この息の間に、旧きものの喪が忍びこんでくる。今迄の大気や大地や食物や衣服や酒や煙草の、最後の残り香は、まだ身辺に立ち迷っているのである。それは第一義的なものではなく、思想や理念を柔かくくるむ雰囲気に過ぎない。だが、そういう雰囲気は旧き世界にのみあって、新たな世界にはまだ醸成されず、思想や理念はすべて荒々しく露呈され、そこに踏み込む吾々にも謂わば心身の赤裸が要請される。
 而も、この新たな世界は、吾々自身の力によって戦い取られたものではなく、突如として前途に開かれたものである。吾々は国際的にはただ敗戦国民の一員に過ぎない。国家を無視して、個人から民族から人類へと眼を走せ、人間の新世紀を想見する時、そこに於いて、顧みて自己の孤立が感ぜられる。そこには、知人もなく、友人もなく、恋人もない。吾々は単独で途を切り開かねばならない。発足は同時に開
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